小学校の担任

 小学校の担任を夕暮れの病室に見舞う。美人ではつらつとして輝いていた先生も、長い組合闘争と病魔に苦しみ、相貌も変わり果て。それでも眠っている表情はやすらかだ。先生は今何の夢を見ているのだろう。左遷されて赴任した四国の北西、岬の果ての小さな小学校の、僕らごんた達のことか。先生は「今日はお天気がいいからお外でお勉強しましょう」と言って僕たちを散歩に連れて行ってくれた。すべて遠い昔のことだ。楽しい、懐かしい、光り輝く時代だった。だから今が寂しすぎる。白いカーテンの隙間から見える空はたそがれて、点滴のしずくが静かに光る。手付かずの冷えた味噌汁。その一杯分の命の火さえ急き立てるように、廊下をスリッパの音が、けたたましく往来する。薬品の匂いから逃れるように窓辺に立つと、病院の中庭を、パジャマ姿の子供達が追いかけっこをしている。大丈夫、次の世代、彼らにはまだまだ未来がある、とでもいうように。

 ぴっかぴかの新車が片側三車線の湾岸道路をウインカーも出さずにがんがん飛ばして行く。もしそれが青春だとしたら、道は山へと向かい、人はいつか土埃のひどいがたがたの曲がりくねった道を、数珠つなぎでのろのろ進む日が来るのだろうか。重いハンドル、つるんつるんのタイヤ、ブレーキも思うようにきかなくなった車はごろごろと坂を下って行く。その先にあるのは来世(消滅?)につながる橋なのか。誰もがその悪路に迷い込むにしても、己の意志で己の走りをすることはできるのだろうか。肉体は間違いなく退化し、記憶は過去だけが鮮明になる。現実の壁が甘くはないのは百も承知だけれど。午後7時55分。辛い、寂しい、静かすぎる。追い出される時間だ。先生、帰ります。丁寧に頭を下げる。階段を降りて病院の裏口から出る。そこには運悪く今夜も黒い長い車がお呼びですかって誰かのお迎えだ。

 

  表わら帽子はもうきえた たんぼの蛙は もうきえた
    それでも待ってる 夏休み

  姉さん先生 もういない きれいな先生 もういない
    それでも待ってる 夏休み

  絵日記つけてた夏休み 花火を買ってた 夏休み
    指おり待ってた 夏休み

  畑のとんぼはどこ行った あの時逃がして あげたのに
    ひとりで待ってた 夏休み

  西瓜を食べてた夏休み 水まきしたっけ夏休み
    ひまわり 夕立 せみの声