高田渡編

人物編・第3回は、日本を代表する文字通りの「フォークシンガー」といえばこの人。現代詩人などの詩をアメリカンフォークソングの曲に充て込むというパクリの元祖?でありながら、古今東西・ワンアンドオンリーの存在感を放ち、絶大な人気を誇る高田渡です。この人の良さは、その真実を衝いた普遍的な詩と伝統的な曲、厚みと深みの歌声でしょう。 「ステージで歌いながら寝た」とか「酒が云々で、まだ死んでない」といった話題で採り上げられるのは辟易ですが、もう出ないかと思っていたアルバムが90年代にも何枚か発表されたのは、望外の喜びでした。 いずれ、無形文化財か人間国宝に指定して頂きたいものです。「エンケンに駄作なし」と誰かが断言していたが、この人も同じ。

1.石('73年作品)
・私にとってのベスト1はこの1枚。「ごあいさつ」などに比べて一段地味な作品で、最早「フォーク」とは言い難い(バックミュージシャンはジャズ・ブルーズ系の大物達)かもしれない(30分しかないし)が、各作品群の深みたるや極限近くにまで達しており、武蔵野タンポポ団を率いての「系図」を含めた全盛期3部作の中でも最上位に置きたい。

1)火吹竹
・なんという静かな歌い方。殆ど囁きか呟きか、という感じで、「毎晩 夜通し 起きていて ボクは 何にもしてやしないのです。」「火吹竹の音を 聞いていると 外は雪のように 静かです。」と、貧乏詩人でもあった父親の詩の透徹した世界をこれ以上望めない温かみで歌う。渋さと悟りの極みがここにある。

2)いつになったら
・日々の生活がただの繰り返しに思えた時、人生の意味が分からなくなった時など、「何もかも昨日の続き 人生はさっぱりするときがない」「ああ いつになったら この俺でなくなるのだろう いつでも好きな時にさ」という金子光晴の詩がピッタリはまる名作。

3)石
・この歌も解説するのが無駄な気がするが、「季節季節が素通りする 来るかと思ってみていると 来るかのように見せかけながら 僕がいる代わりにというように 街角には誰もいない」という山之口獏の感慨(とらまえ方)というものが、分かる人に分かる歌ということか。「生活の柄」等と並ぶ代表曲として、繰り返し再演されている。

 

2.ごあいさつ('71年作品)
・一般には、こちらをベスト1に挙げる向きも多い出世作(高田渡にあるまじき?ヒット作でもある)。URCにおける五つの赤い風船とのデビュー盤や「汽車が田舎を通るそのとき」を経て、(今となっては)名門キングベルウッドでの「ファーストアルバム」と銘打たれている。代表作が16曲もテンコ盛りなのも嬉しい。

1)生活の柄
・誰もが知っている?!代表曲。まるで小室さんの「雨が空から降れば」同様、NHKなどでも必ずと言って良いほど歌わされているが、何度聴いても飽きることのない人生の真実が詰まっている・・ような気がする。「秋は 秋からは 浮浪者のままでは眠れない」というサビが「あんたなんでサラリーマンしながら浮浪者の歌を歌わなきゃいけないのよ」と非難され理解を拒んでいるような気もして、教科書に載る日は来ないだろうが、芸術を前に分からない手合いは無視しよう。

2)銭がなけりゃ
・これも時代感覚や生活環境が今の私とかなり離れていることは認めるが、何度歌っても気持ち良いのは、私が本質的に貧乏だからか?「住むなら山の手(青山)に決まってるさ。銭があればね」という落ちが決まっており、バックを務めるはっぴいえんどの面々のリラックスした楽しい演奏振りも光る。

3)おなじみの短い手紙
・「ただのエンピツと紙だけでピストルやナイフは何もいらない」「ただの短いおなじみの手紙が、僕の命や君の命を取ってしまう」。淡々として美しい詩と曲の中に、戦争の怖さを歌った反戦歌の名作。

3.渡('93作品)
・もう長くないんじゃないかと、真顔で噂されていたあの高田渡が、90年代にニューアルバムを作ってくれただけでも、実に有難い。しかもこれが70年代に匹敵するような名作だったのだから、三重丸。アルバム表の次兄から(何十年も前に)贈られた手彫りの「渡」の赤印と、裏の近影写真も良かった。

1)夕暮れ
・この時期の代表曲で、ライブなどでも良く聴いたが、久々に最高傑作記録?を塗り替えたかなという感あり。「自分の場所からはみ出してしまった多くのひとびと」に捧ぐ親愛の歌であり、その歌唱、演奏とも名演。なかなかこうは歌えない。

2)イキテルソング ~ 野生の花
・「日本に生まれて日本米が食えぬ 変な話だが嘘じゃないよ」と生きたガイコツの踊る様を歌った添田唖禅坊の時事演歌にアメリカ民謡ワイルドウッドを充てて、高田(渡)節の真骨頂といった趣。時ならぬ米不足騒ぎにも当てはまった。

3)さびしいと いま
・「さびしいと いま 言ったろう」と始まり「そこだけが獣の腹のように温かく」と続き、「あの椎の木も、栃の木も、日暮れも湖もそっくり俺のものだ」。と結ばれる(正直良く分からない程に)スケールの大きな歌。映画の主題歌となり、最近の本人お気に入り「ブラザー軒」とセットでミニアルバムも出された。

 

4.ねこのねごと('83年作品)
・殆ど忘れられた80年代にどっこい残した、不可思議にして味のある名盤。89年に(他のいくつかの作品に先立って)CD化された時には、「これを私以外の誰が買うのか」と喜びつつ訝ったのを覚えている。

1)酒が飲みたい夜は
・私のフェバリットソングかもしれない。「酒が飲みたい夜は 酒だけではない 未来へも口をつけたいのだ」「夜明けは誰のぶどうの ひとふさだ」といった、えもいわれぬフレーズが重なり、深い世界に浸ることができる。思わずウィスキーをロックでやりたくなる歌(この頃出たライブビデオはその名も「グラス・ソングス」だった)。この頃、吉祥寺マンダラ2で本物の高田渡を見て感激したのを覚えている。

2)いつか
・これも「酒が・・」と甲乙付け難い名曲。「一度も逢わないことだってある すれ違いすらしないことだってある」で始まり、「渦巻くグラスの中に浮かんでいる 自分が見えるのはいつの日のことか」と受け、「いつか目の覚めない朝を迎える日が来る 永い夜は短い朝に逢う為にいるのか」で括るこの歌が、この人の人生観を良く表しているのではなかろうか。なんと言っても「作詞・高田渡」である点が貴重。さらに「ウィスキーおくれ」と歌いたくなる。

3)バイバイ
・「あいつはキスの時 オレの血が出る 血が出るまで噛んだ」で始まり「今でも思い出す 今でも思い出す 噛むのが好きなあいつのことを」と結ばれるユニークなラブソング(フェアウェルソングなのかなあ?)。いずれにせよ一筋縄ではない。

 

5.FISHIN' ON SUNDAY('76年作品)
・なんといっても、アメリカ西海岸、ロスアンジェルス録音である。恐れ入る必要はないが、なんだか乾いた香りも漂う秀作。中川イサト、細野晴臣両先生のサポートも的確で、楽しいセッションであったろう様子が窺えほほえましい。

1)秋の夜の会話
・草野心平である。蛙の夫婦の会話である。秋がきて冬眠を前に「どこがそんなにせつないのだろうね 腹だろうかね 腹とれば死ぬだろうね」と切ないような超然としたようなやり取りが、高田渡の歌う世界にマッチして美しい。

2)頭を抱える宇宙人
・毎度お馴染みの山之口獏である。やはり夫婦の会話である。ただし宇宙人の。しかし「いつまで待っても文無しの胃袋つきの宇宙人なのでは」「すると女房がまた角を出し 配給じゃないかも何もあるものか」と地球の上と同じ会話を繰り返し、頭を抱えるしかなくなる次第。どこか明るいのが良い。

3)フィッシィング・オン・サンデー
・ウェストコーストで録音した結果は、鬼才ヴァン・ダイク・パークスのピアノ参加によりその価値を得たとも言われている。確かにこの「音」にはなんだか魔法にかかったような開放感のようなものが感じられ、確固たる高田渡の世界を少ーし曲げているような(気もする)魅力がある。

 このほか、反則技にはなるが、「漠(詩人・山之口獏を歌う)」もベスト2に入れようかと思った近年の傑作であり、佐渡山豊や石垣勝治の名唱を含め必聴である。もう入手しにくくなりつつあると思うので、未だの方は今のうちに買っておかねばなるまい。なお、入門者はさらに近作の「ベスト・ライブ」で名人的「語り」を含む全貌を把握するのもお勧めである。
 因みに、もう高田渡を制覇し尽くしたと自信のある向きには、ウッディ・ガスリーやミシシッピ・ジョン・ハートほか、アメリカのオールドフォークないしブルースの源流に遡られることを提案したい。きっと「ああ、この曲は渡の・・」と少し驚き、そしてにんまりされるだろうから。

 さて、次回は、このホームページアンケートで嬉しいことに人気No.1だった加川良を予定している。

<12年5月>