中川五郎編

 人物編23回目は、オッとこの人を忘れていてスミマセンと反省する「中川五郎」さん。今は亡き高田渡や加川良とは違うタイプの、しかしまごうことなき日本を代表するザ・フォークシンガーである。私は彼を『フォークの純真』と呼びたい。フォークの定義として「歌が下手なこと」というジョーク?があるが、正に当て嵌まる。後述のように両極端な歌の類型を持っているが、「ピュアな魂」という点で共通している。
 高校生でデビューしてから現在に至るまで、なんと50年に亘り一貫した「反骨・反権力・反体制」を旨とし「民衆の心と暮らしの真実」を歌おうとするプロテスト・フォークを歌い続けている稀有な存在である。と言いながら、70年代から80年代には、歌う意味や聴き手を見失い(70年フォーク最盛期に歌手廃業宣言)、わいせつ(ふたりのラブジュース)裁判を起こされたこともあって、不遇の時代を送った。
 この時期には、翻訳や評論活動に活動の重心(「ボブ・ディラン全詩集」は凄い!!)を移しつつ、しかし、自身の生活を素っ裸で表現した珠玉の「極私フォーク」盤2枚を残している。要は、愛猫が死んじゃった、とか、好きになった娘の部屋の前まで行ったけど入れてくれなかった、といった類の歌だが、これがまたいい。
 90年代にフォークの原点に復帰して以降は、持ち前の真っ直ぐなプロテスト・フォークで、安保法制・共謀罪・安倍政権への批判や、差別問題への怒り、特に最近では関東大震災直後の朝鮮人虐殺の物語歌を3曲も作って歌っている。弱者・貧者・被差別者・障碍者の立場に立つ中川五郎こそが、そうした意味での本質的なフォーク・シンガーと言えよう。
 これは、今も国会前等で展開されている新しい形の市民(抗議)運動にジャスト・ミートするものであり、より多くの若者に、中川五郎の歌を知って、歌ってもらいたい。彼のギターには、「大きな世界を変えるのは一人の小さな動きから」という紙が貼ってある。

1.25年目のおっぱい('76年作品)
・ベスト1は、メッセージフォーク・ムーブメントの終焉後、まるで宝物のような瑞々(みずみず)しい光を放って、「そっと置かれた」感じのこの作品。
・自身の結婚・子供の誕生・ペットの死など、身の回りの出来事を、見事なイノセント(無垢)作品に昇華させている。
・商業的な成功には恵まれず、次回作(下記)も通じて「極貧生活」にあったと吐露しているが、清い精神はそうした中から生まれたようだ。
・中川イサト+ラストショーのバック演奏も美しい。

1)水と光
・生まれてくる子供に対する気持ちを歌った歌。
・「ママもぼくも 待ちくたびれてしまった 早く出ておいでよと 呼びかけたいけれど」 
・「月は満月 塩は満ち潮 星はうお座にかかっている」「月の魔法のちからにひかれて おまえは いま 世界にやってくる」

2)祝婚歌
・ここからすべてがスタートする、という、まるでバージン・スノウに踏み出していくような作品。・「見えてくる くっきりとした水平線 見えてくる 新芽の透かしの入った赤ん坊」
・「光のない時代だけど たくさんのものが 今日から見え始める 今日は その一番初めの日 初めの日」

3)まがり
・愛猫「まがり」の死体を前に、もっと優しくしていたら良かった、と悔恨の念にかられ、深い悲しみを歌う。
・「明け方 まがりが死んだ 苦しそうに悶えながら死んだ」「ごめんね ごめんね まがり 何てひどい飼い主だったんだろう」

4)25年目のおっぱい
・特別に4曲目。奥さんとの出会いと恋愛を瑞々しくかつ赤裸々に歌った、中川中期の代表作である。
・「25年目のおっぱいは とっても小さいけれど ぼくのてのひらにぴったりで とっても柔らかい」

2.また恋をしてしまった僕('78年作品)
・第2位は、またも私フォーク系が続いて申し訳ない?が、中期のこの作品。プロテスト・フォーク系を持って来たい気もしたが、寄る年波もあって、どストレートな反戦・反核・反国家的な歌には、ちょっと身を引いてしまう感が(多分多くの聴衆も)ある。
・十年前、十代の頃に彼女の家で親の目を盗んでSEXする歌から始まる。この作品(プロデュースは中川イサト)のテーマは、ズバリ恋愛、「恋」だ。

1)また恋をしてしまったぼく
・「新・日本のフォーク・ロックベスト選」にも選んだ歌。中年男が性懲りもなく友達の友人に新たな恋をしてしまい、部屋の前まで行ったけど入れてくれず、家に戻って奥さんと寝る、という恥ずかしいシチュエーションを衒いなく歌う。
・「また恋をしてしまったぼく 新しい人に 一目惚れの恋」「みじめで醜く むなしくやるせない 女房持ちの恋は 囚われの恋だから」

2)ミー・アンド・ボビーマギー(Me and Bobby McGee)
・アメリカの歌のカバーだが、素晴らしい歌だと思う。特に最後の歌詞(下記)は、数あるフォーク・ロックの中にあっても、人生の真髄を表現した傑作の1つに違いない。
・「見知らぬ町で 一文無しになって ジーンのようにすり切れた気持ち」「運ちゃんの知ってる唄をみんな唄った ワイパーの拍子に合わせて」
・「自由っていうのは 失うものが 何もないことさ」

3)夜盗のように(Run like a Thief)
・これも米国作品のカバー曲。親友の彼女を寝取ってしまった、という壮絶な?状況を歌い上げる。
・「いつしかきみは眠ってしまった 朝ぼくは君の横で寝ていた 誘惑の甘い酒」「ともだちの顔にぼくは泥を塗りつけて 夜蔭にまぎれ あかりをさけて ぼくは夜を逃げる 泥棒のように」

3.Live at BBstreet:To Tell the Truth('15年作品)
・変名(バンド)で出され、その過激さは忌野清志郎のタイマーズを想起させる直球高めのプロテスト・ロック!。この時期、権力への新しい抗議の形を作ったSEALDsの行動とも連動し、安倍政権の改憲に向けた動きを糾弾している。
・かなりハードなフォーク・ロックサウンドも素晴らしい。中川五郎名で、メジャーのレーベルから出して欲しかった。「鉄よりも硬く、炎よりも熱い志」(パンタ言)を心して聴け!「歌は言葉の弾丸」(中川言)である。

1)For a Life
・飽食の時代、飽和した日本にあって、何が生き甲斐、生きるために何が必要かを、激しく問う歌。
・「水の無い場所で笑っているあなた 何でもある場所でイラついているあなた 屋根のない教室で学んでいるあなた エアコンの効いた教室でさぼっているあなた 少ない食事を仲間と分け合うあなた 誰もいない家ひとりで食事をしているあなた」
・「要るものが無さ過ぎて ここではみんなが助け合う 要らないものが多過ぎて ここではひとりでひねている」・「For a Life For a Life 生きるためには何が必要? 本当に必要なものは何?」

3)大きすぎる力を手に入れて(License to Kill)
・固有名詞こそ出てこないものの、安倍晋三総理を真っ向から批判する歌。インディーズ作品とはいえ、このような歌を(国会前でも)公然と歌う勇気に敬服する。右翼に命を狙われても不思議ではない。曲はボブ・ディラン。
・「男は思う 大きすぎる力を手に入れて 何でもできるし 何でも変えられる」「反対の声はただの騒音 抗議に傾ける耳はなく」「名もない 戦う人々の思いが重なる ああどうすれば男の耳を傾けさせられるのか」
・「どこかで失くしたんだ 一番一番一番 大事なものを」

3)大きな壁が崩れる(We shall Overcome 2012)
・言わずと知れた、プロテスト・フォークの世界的な代表曲で、中川をこの世界に引きずり込んだピート・シガー作品。難局にあっても民衆の力を結集すれば「世界を変えることができる」ことを信じようとする歌。
・「大きな壁も ぶつかり崩す あなたと私 みんなの力で おぉ諦めず 立ち向かおう 大きな壁が崩れる」
・「恐れはしない 恐れはしない あなたと私 みんなの力で おぉ未来見つめて 立ち向かおう 大きな壁が崩れる」

4.六文銭・中川五郎('69年作品)
・第4位は、中川五郎のデビュー作にして、六文銭とのスプリット・アルバムであるこの作品。関西フォーク・ムーブメントの息吹に溢れている。この半年後に、多くの歌を再録音(バックはジャックス)した「終り、はじまる」が出ており、完成度は後者の方が高いが、初期衝動の本盤を推す。

1)殺し屋のブルース
・これほど過激なプロテストソングがあっただろうか?岡林信康のガイコツの歌よりビーンボールである。
・時の権力者(総理大臣)であった岸信介・佐藤栄作を殺人者、機動隊を暴力団と断じる迫力は覚悟を要し、チャップリンの「独裁者」(全盛期のヒトラーをコケにした)と共通する。
・「俺たちゃ殺し屋兄弟ふたり 甘いアメ玉しゃぶるためにゃ どんなことでもするつもりだぜ」「兄貴の犯罪6月15日 弟の犯罪10月8日 手を汚さないうまいやり口さ」

2)恋人よベッドのそばにおいで
・激しいプロテストソングの中に、そっと差し込まれた上質のラブソング。岡林信康や高石ともや・加藤和彦も歌っていた。中川の敬愛するエリック・アンダースンの初期作品。
・「おいでよぼくのベッドに ドアを閉めて真っ直ぐに ぼくに優しく身を寄せて ペティコートを床にお捨て」

3)腰まで泥まみれ
・中川が歌い始めるきっかけを作ったフォークの父、ピート・シガーの作品。軍隊の隊長が、置かれている状況を顧みることなく突進のみを命じる愚かさを厳しく歌う。中川の代表曲で、カラオケにも入っている。
・元々はベトナム戦争をイメージした歌であるが、私は某メガバンクのシステム統合プロジェクトの時にこれを歌って、「こんな(ピッタリの)歌があるんですね」と驚かれた。
・「ぼくらは腰まで 首まで やがてみんな泥まみれ だがバカは叫ぶ進め!」

5.そしてぼくはひとりになる('06年作品)
・第5位は、スタジオ録音最新作となるこの1枚。前作の「ぼくが死んでこの世を去る日」は、生と性と老いと死をテーマにした、かなり?気の早い遺言作品だったが、本盤では高齢男の情けない「恋や愛」を、再び歌っている。
・具体的には、新しい彼女を作って家を飛び出し、奥さんと娘さんに愛想をつかされた挙句、彼女にも逃げられてひとりぼっち、というシチュエーションで「父の日にも何も来ない」「クリスマスイブなのに独りぼっち」といった歌が展開される。この歳になっても女に弱く、Hにも興味旺盛なところは早川義夫と同じだ。

1)そしてぼくはひとりになる
・正に上記の自業自得的な惨め状況を、正面から歌った歌。
・「あなたは怒り あなたは泣き ぼくは家にいられなくなった」。だけども「ぼくに好きな人ができたのは あなたが嫌いになったわけじゃないから」
・分かるような気もするけど、そうは問屋(この場合女性)がおろさないんだろうなぁ。

2)水に流せば
・水に流せば、と言われても、様々な思いが積み重なっていて、そう簡単に行けば苦しむことはない、という心情を、柔らかなサウンドで静かに歌っている。
・「水に流せと 君は言うけど 僕のこだわりは 水には溶けない」「水に流せば水は濁って 流れは詰まり 淀むこだわり」。

3)はなれていれば思いはつのる
・奥さんあるいは恋人と別れてしまって、初めてその大切さが分かる、という普遍性を持つ歌。
・「そばにいれば それが当たり前 まばゆい光にもいつしか目がなれ」「はなれていれば 思いはつのる なくしてみれば ありがたみわかる」


 以上が、アルバム5枚の紹介である。長いキャリアながら、ライブ活動を重視し全部で7枚半しか出していないので、選出率では得している感も否めない。

 最新作のライブ2枚組「どうぞ裸になってください」(同名曲は僅か22歳で夭折した村山槐多の詩:心身両面の裸を意味する)が当選確実かと思っていたが、ライブ全体を収めたせいかやや冗長な感じがして外した。
 
 ただ、特筆すべきプロテストソングとして「一台のリヤカーが立ち向かう」がある。本稿執筆時点では、中川五郎HPの「MUSIC VIDEO」コーナーでも、6弦バンジョーを手に凛々しく歌う姿が確認できる。
 
 この歌は、横須賀で反核などの抗議歌を単身歌い続け、無名のまま亡くなった村松俊秀というフォーク・シンガーの歌。

♪一台のリヤカーが立ち向かう アンプやスピーカー積んだリヤカーが立ち向かう 横須賀の街に核を持ち込むな 横須賀の海に戦争の船を許すな 一台のリヤカーと歌い続けた男 大きな世界を変えるのは 一人の小さな動きから♪

 さて、この「T’s Selection人物編」。今回は、大変「分かり易い人」だった。次回、「友川カズキ編」を書くならば、ディラン・友部以上の難物になりそうだ。聴き込むのが辛く、怖い。。。

<2017年12月記>