TapeⅡ

大塚まさじ
フォークの神様ボブ・ディランに因んだ、大阪は難波元町のコーヒーハウス「ディラン」から風は起こりました。高石友也や岡林信康とは違った、内面的な形で寓話然とした少年や男のロマンを歌い、音楽的にも高いものがありました。
「大塚まさじは顔で歌う」といわれる独特の歌唱法で、一連の夜の街歌は日本のトム・ウエイツともいわれます。

70年代 男らしいって分かるかい
<昨日の思い出に別れをつげるんだもの>
まさじ流解釈によるアイ・シャル・ビー・リリースト。名曲といわれた「プカプカ」のA面で、「男らしい」の意味深い味わいがあります
80年代 天王寺想い出通り
<遠い昔ぼくは>
大阪天王寺界隈の暮らしや出逢いと別れが匂い立つような濃さで、しっとりと歌い込まれています。先日カラオケにあって感動しました。
90年代 風のがっこう
<風のがっこう>
まさじも旅を重ねた末、三浦半島森戸海岸に居を構え、ひとり息子の月君、みわさんと3人で暮らし、時々歌の旅に出るマイペースの生活を続けています。年輪と余裕を感じます。


西岡恭蔵
大塚まさじと「ディラン」で出会い、歌の世界に導いた関西切ってのソングライター。ディランⅡのレコーディングにも準メンバーとして参加している。
独特の漂白観で、スケールの大きな旅情を母音を伸ばしながらファンタジックに歌う。プカプカの作者であり、矢沢永吉にも「トラベリンバス」等の歌詞を多く提供している。

70年代 春一番
<街行き村行き>
70年代前半の関西名物、春一番コンサートのテーマソングで、アメリカはウッドストックコンサートの行われたヤスガーさんの農場へと風は吹いて行く。
80年代 GYPSY SONG
<南米旅行>
奥さんで詩を作るクロと南米旅行した時に作ったジプシーソングを、ロスアンジェルスで、ソーバットレビューバンドとレコーディング。
クロさんのご冥福をお祈りします。
90年代 眠りの国から
<トラベリンバンド>
ギターの音色が好きです。心安らかになるステキな子守り歌?

 

斉藤哲夫
哀歓漂いどこか懐かしくもポップな、関東屈指のメロディーメーカー。ビートルズの影響を受けたという意味では、財津和夫に匹敵するか。時代がその才能を正しく受け止められなかった悲劇から、今はトラックの運転手や実家(食堂)の手伝いをしながら活動中。

70年代 頭の中いっぱいに続く長い道
<バイバイグッドバイサラバイ>
哲夫版ロング・アンド・ワインディング・ロード。清らかで神々しい曲だ。
80年代 夜空のロックンローラー
<僕の古い友達>
実にポップで、ノリのよいロックンロール。落ち込んだ時も元気が出ます。
90年代 サイドストリートバンド
<DE TE FABULA>
12年の沈黙を経て、92年に復活。間違った(悪い夢を見てた)こともあったけど、まだまだこれから(何も見えちゃいない)と歌います。

 

遠藤賢司
日本フォーク・ロック界を股にかけこれらを超越した自称「純音楽家にして、不滅の男」。そのセンスは井上陽水、情念は三上寛に比肩し、日本のニール・ヤングと呼ばれる。あくまでも静かな囁きソングと、大音響の絶叫ソングの落差が特徴であり、魅力。

70年代 ほんとだよ
<niyago>
なんて静かで美しいラブソングなんでしょう。心を洗われます。
80年代 踊ろよベイビー
<KENJI>
何と激しく強烈なラブソングなんでしょう。本当に宇宙の果てまでぶっ飛びそうです。
90年代 夢よ叫べ
<夢よ叫べ>
16年ぶりのオリジナルアルバムが好評です。エンケンよ、永遠に夢を叫べ!!。

 

休みの国(高橋照幸)
伝説のロックバンド「ジャックス」の、裏バンド(ボーカルが早川義夫か高橋カイゾク照幸か)というカルト的存在ながら、その実力は高い。日本のバンドに他例のない乾燥した精神世界を驚異的なマイペースで歌い続けている。

70年代 追放の歌
<休みの国>
何ともいえない名曲である。「昨日は一緒に歌ってた」後ろめたさを感じさせるコンナ歌は、他に友部の「どうして旅に出なかったんだ」くらいか。昔「追放の歌」「雨が空から降れば」「プカプカ」「生活の柄」「一本道」「イメージの詩」のどれが究極の名曲かを巡って議論は尽きなかった
80年代 夕焼け地帯
<トーチカ>
この諦観と歌声は、素晴らしい。スウェーデンから帰国後の名曲である。
90年代 ウィンチェスター
<フリーグリーン>
徐々に力強いロックとなりつつ、90年代にも独特の感触をさらに磨き上げたような見事な作品を発表してくれた。

 

早川義夫
本来、高石友也と共に岡林の前に来る人。フォーク・ロック黎明期に「ジャックス」のリーダーとして一世を風靡し、岡林、高田渡、加川良等のアルバム・プロデューサーとしての功績も大きい。川崎で長く本屋の主人をやっていたが、なんと25年ぶりの復活を果たす。

70年代 ラブ・ジェネレーション
<ジャックスの世界>
岡林もカバーしていた。青春の国歌といえよう。同名の著書も「歌は歌のないところから聞こえてくる」など、名言あふれる名著。
80年代 80年代はおやすみ 寒村での農耕生活の中で、病んだ心が自然に癒された際の解脱歌のひとつ。
90年代 この世で一番キレイなもの
<この世で一番キレイなもの>
25年の沈黙後これほどに美しくも重い、永久の真実を歌うとは参りました。「音楽は音でもない、言葉でもない、沈黙なのだ」「音はその人自身である」


豊田勇造
「ト」音には、友部正人、友川かずき、そしてこの豊田勇造と、妥協を許さず神髄を突く3大詩人がそろっているが、中でも普通の手段ではレコードを買えない等の点で、最もアングラ的存在のブルーズマン。日本に愛想を尽かしタイに移住していたが、今は行ったり来たりの生活をしている。

70年代 台湾
<血を超えて愛し合えたら>
あこがれのジャマイカはキングストン、タフコングスタジオに飛び込み、現地のミュージシャン達と作り上げた日本レゲエ界の名盤「血を超えて愛しあえたら」の中から、「ここでも殺したかもしれない」日本人には重く怖い歌。
90年代 マンゴシャワーラブレター
タイでの生活を踏まえ、肩の力が抜けて充実した到達点が香り立つ。90年代の収穫


フォークマンブラザース(なぎら健壱、坂田おさむ)
最後に、この人が好きというよりこの歌が好きな「フォークシンガー」を。
なお、アルバム「フォークマンブラザース」は、日本フォークの歴史を曲と会話でコミカルに綴り、おかしい。

  フォークシンガー
<フォークマンブラザース>
「戦争でも起きなきゃ儲からぬ」フォークソングが何故好きなのか。ユーモアの中に強い意志を感じさせ、「それでも俺らフォークシンガー」。。