岡林信康
フォークの神様、日本のボブ・ディラン。私の人生の師(救命ボート)でもある。フォークからロック(はっぴいえんどをバックに)、演歌、ポップス、テクノを経て「我が国固有のロック」であるエンヤトットに至る(おそらくは美空ひばりに続く国民的歌手であることに気づいていない人も多い)。
70年代 | 自由への長い旅 <見るまえに跳べ> |
日本のアイ・シャル・ビー・リリースト。 中島みゆきと松山千春の原点。 |
80年代 | 山辺に向かいて <町は素敵なカーニバル> |
寒村での農耕生活の中で、病んだ心が自然に癒された際の解脱歌のひとつ。 |
90年代 | ペンノレ <ベアナックルミュージック> |
韓国のパーカッションGサムヌノリとの出会い、オリジナルロックの発見。 |
吉田拓郎
フォークの王様、日本のボブ・ディラン兼プレスリー?。私の人生の友でもある代表選手。その大衆性(ポピュラリティ)故に当時のフォークシーンから迫害されつつも、ブルドーザのような馬力で岡林が鍬で耕した大地を平定し、ユーミン、桑田へのニュー・ミュージック・ビジネス既定路線を切り拓いた功績(と罪?)は大。
70年代 | 人生を語らず <今はまだ人生を語らず> |
今はまだまだ人生を語らず・・・・ |
80年代 | 若い人 <情熱> |
やや青春歌謡ッポイかも知れませんが、キーワードに溢れ・・・・好き。 |
90年代 | 淋しき街 <Long time no see> |
昔を振り返る年頃ですよね(50歳だもん)・・・、拓郎の歌は解説不要(まあ誰にでも判るという事) |
泉谷しげる
フォークの異端児、日本のブルース・スプリングスティーン!TVタレント化したが、実は遠藤賢司に並ぶロックの天才である事がこの3曲でお判りいただけると・・・信じたい。最初からトラマエ方が既にロック(ないしパンク)していた(故に杏里後のフォーライフレコードには居られなかった)。
70年代 | ねどこのせれなあで <春夏秋冬> |
結婚(や恋愛)の真相をここまで鋭く洞察した歌があったろうか(怖い)。K(注:新婚の部下)必聴なれど聞く耳持たんだろうナア、今は。 |
80年代 | 翼なき野郎ども <'80のバラッド> |
日本フォーク・ロックの最高到達点のひとつ。時代を先取りした名曲。 |
90年代 | 地下室のヒーロー <IZUMIYA SELF COVERS> |
この圧倒的なナントイエバヨイカ・・・(語彙払底)を堪能すべし。芸術といえよう。 |
小室 等
日本フォーク界の始祖、古老。哲哉ではない!!日本のピート・シガー。別役実や谷川俊太郎の詩など日本語を歌に乗せるという「アスファルトへの草生やし」に一生を捧げた?地味ながら高品位のシンガーソングライター。
70年代 | 思い出してはいけない <六文銭メモリアル> |
六文銭は、出発の歌だけではなく、名曲と人気満載であった。 |
80年代 | クリフトンN.J. <プロテストソング> |
人生普遍の真理は、ここに極まる?谷川-小室ラインに死角なしの見本。 |
90年代 | バードマン <「会い」 I am a> |
60歳になってもまだまだ元気で、現役生活を続けて頂きたい。 |
高田 渡
フォーク界の奇才、至宝、重鎮。日本を代表するフォークシンガーを一人挙げよという問題が出たら、この人を答えるのが正解。正にワン・アンド・オンリーの日本のウディー・ガスリー。いつまでも古ぼける事のない(ハナカラフルイ?)普遍の真理を市井の庶民の生活に託して作品化。人間国宝級といわれる(本当に複数の本に書いてある・・・ウソダトオモウナラ・・・)詩を拝聴のうえ銘すべし。
「詞は詩であり志にして刺である」とは、この人の歴史的名言。
70年代 | 生活の柄 <ごあいさつ> |
当時二十歳そこそこの若造にして、この渋さ、重さは未だに信じ難い! |
80年代 | 酒が飲みたい夜は <ねこのねごと> |
高田渡の世界を本当に理解するまでに、20年程かかりました。 |
90年代 | 夕暮れ <渡> |
これから、さらに30年経っても分からないかも?死なないで頂きたい。 |
加川 良
高田渡の一番弟子にして(当時)吉田拓郎のライバル。日本のジャック・エリオット。フォーク界の王子(商業主義に身を売ったとされた拓郎に比し岡林の後を継ぐ嫡男)としてきたいを集めたが、夜汽車と夜風が似合うさすらいの詩人であり、本質的にマイナーな存在ゆえ苦しんだ(3曲似通った点は反省)。
70年代 | ラブソング <アウト・オブ・マインド> |
好きな人に聞かせたが効果なく(あるいはそれが原因で?)フラれた。 |
80年代 | 君におやすみ <駒沢あたりで> |
こうした愛情世界に未だにあこがれるため、妻とうまく行かない筋合い。 |
90年代 | 贈りもの <ONE> |
ふるさとは地球。神様の贈りもの。この人も悟りつつあります。 |
友部正人
日本が世界に誇るアジアのフォークシンガー。作品レベルと声質においてボブ・ディランと比較され、若きアーティストからの尊敬を一身に浴びる天才詩人(言葉の魔術師)。人を眠らせる絵葉書のような甘い叙情フォーク(といわれる青春歌謡)と対極にあり、心の深層をかきむしるハードでドライな歌の数々は、傑作揃い。劇薬注意。覚悟の上、心して聴くべし。
70年代 | 乾杯 <にんじん> |
連合赤軍あさま山荘事件時の新宿を舞台にカフカ的世界を現出。多感な高校時代にこの歌を聴いて、世界観(歌観)が大いに刺激・影響され今日がある。 |
80年代 | びっこのポーの最期 <1976> |
日本フォーク・ロックの最高峰(その2)。タイトルからして既に発売禁止歌で、すぐに市場から回収され、古レコード屋では、一時7万5千円の値がついた(が、もっと値打ちもの)。 |
90年代 | さて実は、ここで90分のテープは終わりです。あなたの選ぶ、友部の90年代は・・・ |