MartinD-18と出遭うまで

♪ ああー、憧れの、本当のギターだぜい!いつまでも苔むさず、Martinは僕の Rolling Stone♪

 「ギターを買おう」と思い立ったのは、40代も半ば、多少は余裕が出てきた反面、息子が成長し家内も含め付き合ってくれなくなったからで、いわばこれからの人生、「自分の時間をどう使おうか」という深遠なテーマと向き合った時に、最も好きなフォークソングの世界に「ギターがあった」という次第。
 癌告白の拓郎は「人生のメニューは多過ぎて、その中の一つだけを選べないでいる」と歌ったが、いわば、犬を飼おうかといった他の選択肢に勝る格好で、私のギター購入騒動は始まった・・・

 ついに先日、MartinD-18を購入した訳だが、この過程では、本人が思っても見ない涙と感動?の物語が展開された訳である。この間、各種Webサイトにおけるギター好きの方々の書き込みなどにより、いろいろ勉強もしたし、同じような状況にある?ご同輩の方々のためにも、多少詳しめに書き留めてみた。

1.ギターとの出会い
 さすがに、ギターを持ってなかった訳ではない。
 最初にギターと出会ったのは、私が高校1年の頃、中学生の弟が何故かギターを欲しがって親に買ってもらった。当時テレビで小室等と六文銭(上條恒彦との「出発の歌」)を見て衝撃を受けていた(尾崎紀世彦みたいじゃなく、きたないけど、カッコ良い)私は、弟の伴奏で、よく吉田拓郎の「都万の秋」や「人間なんて」などを歌っていた。
 私自身は、受験勉強に忙しく、ギターを買ったのは大学に入るのと同時と遅かった。貧乏だったし、多分ヤマキの1万円前後のギター(だったと思う)を松山の楽器店で買った。正直言えば、「ギターなんて音が出れば良い」と思っていた。
 就職して暫くした時に、お金も出来たし、熊本の楽器屋でヤイリのギターを買った。定価6万円を4万くらいで、私なりには「相当良いのを買ったぞ」という気分だった。
 日本のフォーク・ロックは当時から相当好きだったが、マーチンとかギブソンに何の憧れも無かった。モーリスとかも含め、どれがアメリカ製かも知らなかった程度の初級ユーザーであった。

2.ギターとのつきあい二十云年
 それから、二十云年、ひたすらヤイリを弾いてきた。とは言っても、1~2週間に1度、1~2時間弾き語る程度で、豊田勇造の「ギターが友達」とかを愛唱してはいたが、ギターが好き、と言うよりは、「フォークが好き」で、歌に託して(世の中等への)ストレスを発散できれば良かったのである。
 自己流の演奏上は、ギターの状態などはさほど気にならず、またローコードを使って単純なコードストロークやスリーフィンガーで弾いている程度であった。
S.ヤイリ YD-302 #10626 冒頭に書いたように、ここ数年、徐々に自分の時間が増えてきた。狭い庭には木を植えるスペースも無くなり、スポーツジム(水泳)に通ったり、英会話を習ったりしながら過ごしてきたが、いよいよ本命としてのギターにつき「少しは良いギターを弾いてみたいな」と思い始めたのが、昨年だった。

3.ギター熱発症 ~ 現有ギターは何か
 ギターに興味が湧いた時、よく有りがちな中高年おじさんと同様、「良いギターと言えばマーティン」かなあと、漠然と思った(数年前にTBSブロードキャスターで特集していたのが印象に残っていた)。
 先ずは、自分の持っているギターは何だろう?。調べてみたらS.ヤイリのYD-302という器種だった。少し前に買った「アコースティックギターブック」3冊を眺めて「このアーティストもマーティンか・・フムフム」とか勉強しているうちに、驚きと感激。
 古いボロギターかと思っていたMyギターが「伝説として語り継がれる幻の名器」として復刻され、そのお値段が18万円だって!(「日本のフォーク特集号」P32参照)。さらに、Yahooオークションでは、中古12万希望のところ7万5千円でも誰も応札してない・・。いずれにせよ、復刻までされて、今では名器呼ばわりされているなら、大切にした方が良いのかな、と思い直した。でも20年以上整備とかしてもらっていないので、一度専門家に見てもらった方が良いかな、と結構一人で嬉しく盛り上がってしまった。

 そこで、調べていくうちに、インターネット上には、ギターの専門Webサイトが多いことに驚愕。なんとソノまんまの「S.ヤイリ掲示板」とか、元ヤイリ社員(S.ヤイリは倒産済)のC様が運営しているサイトでは、シリアルNo.による製造年一覧表まで整備されている。私のギターNo.は「10626」だったが、これを申告すると、直ぐに「'77年推定」としてリストに加えてくれた。メールにも返信頂き、アドバイスを頂いた。
 
4.ギターの調整
  ギターの整備要否について気になったのは、「弦高が高くて弾きにくい」と友人S君に言われていた(その後自分でサドルにやすりをかけたが・・)のと、1・3弦が良く切れること(張っている途中とか、まだ新しいのにチューニング中とか)。測ってみると12F6弦で指板から5mm(フレットから3mm強)くらい あり、HPサイトや物の本に照らして、はっきり高そう。

 結局、お店をいろいろ迷ったが、近所のM楽器で調整してもらうことに決め、リペアマンのTさんにギターを預けた。やっぱり弦高が高い由。その際、マーチンHD-28とD-35の中古を試奏させてもらう。試奏なんて初めてで、ドキドキ。チューニングとかは店員さんがしてくれることを初知り。26万円位出せば買えるようだが、流石に衝動買いは止めて、修理に。この時、我が愛器は弦が直ぐに切れたので、弾き比べなかったことが、・・・あとあと、、に尾を引く。

 3週間後、入院していたギターを引き取りに。ネックを調整(「ネック永久保証!」を謳った「アジャストロット埋め込み式」なので1フレットの指板を剥がし調整)し、弦高を修正。弦切れ対策としてナットを牛骨に交換(ギター部位用語はこの頃覚え立て)。
  ただし、このお店、寄る不況風?に勝てず、ついに40年近い歴史に幕を閉じるそうな。末期に滑り込みメンテしてもらった訳で、多少運命的なものを感じてしまった・・。
 この時、別のマーティンD-28と引き比べたら、流石に我が愛器は「ピントの甘いカメラ」のような違いが実感でき、マーティンの方が綺麗に鳴ってしまった!が、プロに見てもらったので、「年貢を納めて一区切り」の気分で帰宅。
 ――(注)'70年代は「マーチン」。今は「マーティン」ないし「Martin」

5.やはりマーティンなのか
 その後も、ギター関連サイトをサーフィン(死語か?)し、ギターの基本形はマーティンD-28なのだ、我がS.ヤイリもD-28のコピーね、専門の本「マーティンD-28の伝説」まで文庫化されてるもんね。と毎夜勉強に次ぐ勉強。俄かギター博士とも言うべき耳学問。そうこうしていると、3月末新大久保のクロサワ楽器本店で、マーティンギター(特にD-45など高級器の特集)の見学・試奏会、その後店内イベントとして中川イサト+外人さんライブがあることを発見。

 さらに同時期、金森幸介掲示板で、金森さんのギターを照会したら、直ぐに返事が書き込まれて「マーティンD-18」とのこと。オクノ修の「こんにちはマーチンさん」と同じという'偶然と言うか必然と言うか`に衝撃を受け、近年お気に入りの二人に追随できるなら(私の耳はD-18向きか)と、ビールを飲みながら興奮し、月末にクロサワでD-18ゲットだ!。練習して、戦う親父の集団2を結成し、日比谷反戦集会でデビューしようか(丁度イラク戦争開戦必至の国際情勢)と勝手に盛り上がった。因みにD-18は、まろやかな音色で、オールド・アメリカン・フォーク向きと言われている。

6.マーティン試用とトラブル発生
 マーティンで頭が一杯になった頃のある朝、ゴミ捨てに出て、斜め向かいのお兄さん(2才先輩)とご挨拶。久しぶりにお話しているうちに、思いつきで、マーチンをお借りする段取りになった。楽器屋じゃ落ち着けない(他のお客とかいると気になるし)から、我が部屋でじっくり試奏してみたいという思い。エレキ中心に10本くらい?ギターをお持ちの羨ましいお方で、アコギはギブソンのダブという定価50万くらいのがメインだそうで・・。

 お借りしたのは、マーチンD-1(D-18の先祖)で、エレアコっていうのか、音を取り出すピックアップがついたタイプ。「湿度を30%に保ってください」とのお言葉が(そんな・・)、やっぱり通ぽい。因みに「毎日5分でも各ギターを弾く」そうで、かつての当HP調査室アンケートはまんざら間違いではなかったな、と納得。
 さて、問題のマーチンギター。確かに音がクリアな気がして、家内が帰省し邪魔する人もいないし、喜んで弾いていた(同時録音が自作CDに)。D-1は、深みと言うより、爽やかさ、清涼感というイメージか。ある意味、派手な音でもある。で、ふと楽譜を交換に、ギタースタンドに右手で置いたら、(勢い余り)そのまま後ろ傾いて、裏板とヘッド(天辺)に傷付けちゃった!!。殆どアンビリーバブルな展開にショックを受け、「夢じゃないか」とも思おうとしたが、何度見ても現実は厳しく、それからの1週間、飲み会続きの中で苦悶しながら生きるはめに(トホホ)。

 ギターは定価20万円程度。7年使用ながら目茶綺麗で傷なし。Tリペアマンに相談したら「艶消し塗料なので、修復困難。ただし音には無関係」。因みに正面(表)から見ると全く無傷。
 対応策として、A案:現金数万円にお菓子くらい付けて、勘弁してもらう。B案:これを定価で買取り、新品を買ってもらう。C案:誠心誠意謝り、貸している石田長生らのCDをあげるから、と許しを請う。X案:男らしく、古尾屋雅人(折しも同年の俳優が自死)の後を追う!・・等々、いろいろ考えた。

 結局、「あ、気にしなくて良いですよ。音が出れば良い主義だから」との言で、それでも商品券とかもらってもらい、さらには、お好きなローロングストーンズのBOXセットで「今度是非飲みに行きましょう」と円満解決。ほっとした。

7.マーティン総本家を下見に
 ついに、マーティンの日本総代理店であるところのクロサワ本店へ出向く日。新大久保駅からの道筋に、その名も「ザ・中古楽器屋」があった。早速下見にと入店し、アコースティックサウンド責任者のTBさんに、趣旨を説明していくつか弾いてみる。親切で値段も納得価格。いずれもD-18で、'96年製造:148千円、'79年178千円、'65年348千円、'54年398千円(多くの写真は同店のHP参照)。
 どれも良い気がする・・。正直言うと違いが良く分からない(汗がタラーっと)。「ギターはサウンドホールの前から聴くものだから」とTBさん弾いてくれて、これははっきり高い方が良い音だ!「金森さんはきっとこの辺りですよ。激鳴り」と54年を薦められるも、私としては、いつも自分だけで(後ろ側で弾きながら)聴く訳だしな・・、とか、見た目も綺麗な'96年が良さそうかなあ、見た目ぼろいギターに40万円は家内が黙っていないだろう・・、と決心付かず。
 因みに我が(名器のはずの)S.ヤイリは3万円くらいにしかならなそうなので、(1.5万円で調整したのがばかみたいか・・)下取りはよした方が良さそう。

 いざ、クロサワ本店へ。さすがというのか噂どおりか、妙に美術館かショールームみたいな店。D-18を何本か弾かせてもった。チューニングは実に丁寧だったが「ホントに弾いてみます?」というややタカビーとも言えるような姿勢が感じられ、あまり良い印象は持てず。D-45の試奏は、なんとなく断られた。もしかすると、中川イサトの店内ライブ前で、片付けたいモードだったせいかもしれない(本店以外は雰囲気違うみたいだし、誤解があれば予めお詫び)。
 因みにライブは、妙にギターを叩くようになった(弟子の押尾コータローの影響?)イサトさんよりイタリア人クローネ氏の方がエモーショナルで良かった。でも、歌詞がないと、どうも飽きちゃう私。ホントにギター好きなのか!?

8.いよいよ購入劇買出し3人組み
 さて、こうなったら、やっぱりマーティン買うぞ(音はやっぱり違う)。ということで、ここは、拓郎、泉谷ファンだった私に友部やシバを教えてくれた高校時代からの友人のS君(元伊予の子フォーク村村長)と当HP主宰者Hさんに同道願い(私の弾く音を聴き比べる役ながら、3本纏めて買えば大幅割引必至か?)興奮の!?ギター購入劇場の始まり始まり~。

 当日のスケジュールは以下のとおり。
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1.11時半:山手線新大久保駅ド真ん前のお蕎麦屋で待ち合わせ。
2.12時頃:クロサワ楽器本店3階マーティンフロア視察・見学
3.12時半頃:中古楽器屋に乗り込む
―― 旬の4~5本くらいのD-18等試奏・検討会。
4.14時頃:よほど外れなければ1(~2)本購入。
5.15時頃:某フォーク部屋にて宴会兼弾き比べ会
(注)ギター屋さんには、大きな荷物、硬い鞄、金属付きシャツ等、要するにギターに傷を付けそうなものは遠慮するのがマナーのようですので、ご参考まで。************************************

 入店し、TBさんを待つ間、暫し見学。D-18の'96年と、その後入った'68年、'00年を弾き比べ。先ず、新し好みの'00年。S氏「良いっ!」、'96年、同「もっと良い!!」 、'68年「全部良いわ!!!」。確かに'68年の方が深いというか、ふくよかな落ち着いた音がするのは分かるが「続けて弾かなきゃ分からないよ」の割には、お値段は倍近い(30万円弱)ので、'54年とかは弾かないまま、結局割とあっさりと本命の'96年製に決定(当時「中古楽器屋」HP内D-18のトップ左)。この間売れずに残ってくれていたのも、僕を待っていたのか!?
 HPの紹介記事にもあるように「これから育てていくのにもってこいの機種」ということで、女性で言えば?中学生くらいかな?ま、ロリコンでもない(つもりだ?)けど、熟女より良いかなと、、、。

 マーティンの専用ケース付きで、ケースを見てS氏「ケースがまた良いわ」と絶賛。問題はお天気で、小雨模様のため、持ち帰りを断念。張ったばかりだという弦を張り替えてもらう(ライトゲージ)ことにして、退出。新宿のカラオケ店で、「天王寺想い出通り」「いとしの第六惑星」など、レアでコアなフォークばかり(NSPやふきのとうも混ざっていたとの噂も)歌いまくって(それで3人で2時間1,260円、信じ難いコストパフォーマンス!)帰ってきた。
 
9.Yギター教室
 さらには、そうした独り盛り上がりの中、Yギタースクール体験授業の新聞チラシに申し込み。大体体験授業が平日の昼間で休んで参加すると言う、およそサラリーマン中年向けとは思えない設定。後日、どうにか休み取って帰った前日夜「一人しかいないので中止」との連絡が入り、思わずクレーム。独り体験実施。
Martin D-18
 上條恒彦似の立派な体躯の声量大きなN先生。G→C→Am→と、「コードは弾けますね。でも理論が駄目だ」Cが何故5カポでGになるか、身体で覚えたものの、分かってない私。でも曜日が合わないから、別の日に加川良似のM先生の授業見学。「レット・イット・ビー」のソロを弾いていて、私には上級。課題本?の「ソロギターのしらべ」を買って帰った。
 再度M先生に体験入学。今度はギターを初めて持つといった風情のお嬢さんやギターは久々という感じのお兄さんと一緒にCのコードとか押さえる練習。結局、PMS(ポピュラー・ミュージック・スクール)に入学。中級クラス(昨春スタート組みで、中学生等がコードストロークを卒業しスリーフィンガーに苦闘中らしい)に入ることに。先生と話してたら、マイケル・ヘッジス(超絶技巧派、天才ギタリスト、夭逝)がお勧めで、「押尾コータローなんか、まだまだ下手」ですって!。「ソロギターのしらべ」はCD付き2千円でお薦めながら、上級用で、来年続けば・・みたい。少しはテクニシャンになれるかな?。

10.その後の動向
 購入の翌日、会社帰りに引き取ってからは、「僕のマーティンが待っているから」と自宅に急行し、家族には目もくれず自室へ直行。矯めつ眇めつするオバカさんぶり・・。この間、家族は無反応。見ようとも聴こうともする者、ゼロ。
 因みに旧友S.ヤイリは、ギターハンガーを買って来て、自室の壁に吊るした。これで、フォーク部屋のインテリア兼、ギター教室持ち込み用ギターとして活躍の予定。
 そうこうしているうちに、当HPギター自慢掲示板(これも、何のことはない私のギター熱がきっかけで設置か?)に、某S氏が、私とカミさんとの3人写真を掲載する事件があり、「肖像権違反だぞー!家内の逆鱗に触れないうちに、ギターの写真だけにするのが身のためであろうー!」と抗議して、差し替えてもらったり、いろいろ楽しんだ。
 記念に白樺の木を買って来て狭いところに無理に植樹。ギターと記念写真(何故かお庭で撮影している御仁が多かったもので、真似)を撮って、長いお話も一巻のお仕舞い。
 

 


♪ ギターよ今夜を飛ばせておくれ 本当の事は忘れるけれど これからもギターが友達 たぶん俺の友達 ♪
 

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以下は、何かの参考になれば(ならんか?)と思い、私の手許メモを参考添付。

「ギター購入相談」
 国産ギターを30年近く弾いて来たが、齢45を迎え、若干の余裕も出てきたので、良いギターを弾いてみたいなと思う。そこで、近くマーティンを買う方向で、以下のご相談。
<前提>
1.現有ギターと利用状況
 20年ほど前に2台目としてS.ヤイリ:YD-302(マーティンD-28コピー、'77年製、'81年購入<定価6万円>)を購入。以来、自己流で楽しんできた。
―― 週に1度、1~2時間程度、主にコードストロークとスリーフィンガー、ローコードで使用(今後、別の奏法も多少は練習予定)。

2.好きなシンガー(要はルーツ・フォーク)
 最初は拓郎、泉谷、小室等。その後岡林信康や高田渡、加川良。最近では、金森幸介、オクノ修辺りがマイ・フェイバリット。
 ―― 従って、かつてはコードストロークで、叫ぶタイプの曲を歌っていたが、最近はスリーフィンガーなど、やや静かな傾向も半分強。
 ―― 洋盤では、Bディラン、R.ジャック・エリオット、ニールヤングなど。
<ご相談>
① 当初マーティンD-28を考えたが、オールドアメリカンフォークにはD-18が好適との話もあり、D-18を第一候補に転向。この考えはOK?
 ―― 上記、金森、オクノともD-18愛用者であったことが転換理由。
② '70年代後半から'80年代前半くらいの中古か、最近の中古(ないし新品)。
 ―― 古くて高いヴィンテージは関心低く、予算的(20万円程度)にも難。
 ―― 新品は程度が落ちた(昔と違い鳴らなくなった)との声は本当か?
③ 現有ギターを下取りに出すか否か。どの程度の価格?(6~10万で売られている)。
 ── 復活S.ヤイリから「幻の名器」として、18万円で復刻した型番。
 ―― 直近、ベテランリペアマンに1.5万円でネック調整・ナット交換してもらったばかり(状態は良好との言)。タグ・保証書完備。
 ―― D-18だと、拓郎とかは感じが出ない(ヤイリを残した方が良い)か?
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以上(2003年4月)