岡林信康 PartⅡ

当HP久々の新人ライター登場! 新人だけど深いぞ!心して読め。

 ご縁あって、本コーナー「岡林信康パート2」を書かせていただくことになりました。
 Tさんのものと被る部分もあるのは恐縮ですが、なるべく自分に正直に書いてみました。若輩者の稚拙な文ですが、ご笑覧頂けると幸いです。(文中敬称略ご容赦)


◯前説〜バブル期生まれは、如何にして岡林信康を追いかけるに至ったか
 1986年生まれ。
 リアルタイムの流行歌にすら、さほど興味なく過ごした10代でしたが、大学一年の時、インターネット上のとある場所に無断アップロードされていた、岡林、高田渡、三上寛らURC系のフォークをはじめとした音源の数々に強い衝撃を受け、最初にレコード屋で買ったアルバムが、東芝EMIからの復刻CD盤での『狂い咲き』。
 入り口はいわゆる〈放送禁止歌〉の身もふたもないドギツイ表現が楽しかったのだけれど、その中で特に岡林信康を選んだのは、やはり隠しきれない、隠す気の無い〈脆さ〉に惹かれていたのかもしれないし、或いはこの頃の岡林に〈廃頽・破滅的な魅力〉を感じていたのかもしれません。
 さて、時は2006年。まるで私がハマりかけている時期と合わせてくれた(?)かのように、ご本人はサンボマスターと対バンしたり、「狂い咲き2007コンサート」があったり、CD再発の波が来たりで、再浮上の時。
 近年の公演で見せる姿にも惚れ込んだ結果。大学四年間の岡林漬けが延びに延び、「資料系ひとり同人誌」を作り始めた辺りで退路を失い、現在にまで至ることとなります。

1.狂い咲き(’71年作品)
 アルバムを五枚選ぶということで、なるべくオリジナルアルバムを……と思いました。が、岡林信康という歌手はあまりにも特別すぎ、かつどうしても自分史に重ねてしまうところがあり……。ああだこうだ考えに考え、何周もして筆頭をこのアルバムとしました。「それまでに作った自作曲をすべて歌う」という趣旨の、1971年7月28日の日比谷野音公演を収録したLP三枚組。諦観のような1970年冬の神田共立講堂を経て、ヤケクソじみた71年の遠い日比谷の炎天下。
 この公演の後、フォークジャンボリーや音楽舎夏場所コンサートなど、いくつかの仕事をこなした後、岡林はいわゆる〈隠遁生活〉に入ることになります。(……とはいえ、その後もなんだかんだ年一、二回くらいの頻度でステージに駆り出されることにはなりますが……) アルバム『俺らいちぬけた』(1971年)のややオーバープロデュースなスタジオ録音とは違った、柳田ヒログループの実況録音における混沌としたグルーヴは、個人的にはっぴいえんどのそれよりも好みかもしれません。

1)絶望的前衛
 スタジオ録音の存在しない、ちょっとマイナーかもしれない小品。〈絶望的前衛〉という言葉は当時岡林が一種スローガン的に頻繁に使っていたらしい。68年初頭に本格的に歌い始めてから、71年夏までのおおよそ3年半。わずかな期間に〈たくさんの経験〉を重ねざるを得なかった、岡林青年の複雑な心情の凝縮ともいうべき短い言葉たち。「それが僕にとって生きることなんだ」という肯定的な文字面にも、どこかほろ苦さが混じる。

2)くそくらえ節
 高石友也に影響を受けて自作自演をはじめた岡林信康青年。「くそくらえ」の一言で右も左も笑い飛ばす、はじまりの一曲。〈最初のひと聴きの衝撃〉という意味で、これを超えたものが果たして他にあったかと考えてしまう。おそるべき初期衝動。〈1969年全日本フォークジャンボリー〉での音源が個人的ベスト。

3)コペルニクス的転回のすすめ
 「脳ミソを入れ替えるんだ」。いつの時代でも若者が抱くだろう、やや被害妄想じみた叫び。でもそうして時代は変ってゆく。普遍性が高いように思う(「私たちの望むものは」も同様の意味で普遍的と思うが、解釈違いというか……が世間に膾炙しすぎていて……あの曲の主語は「私たち」ではなく、真の意味での「私」の歌なのに……)

2.金色のライオン(’73年作品)
 岐阜や京都の山村で、自然と自己とを見つめる中で生まれてきた歌たち。本人曰く「いかに自分は無理をし、緊張し、いかにがんじがらめに自分で自分をぬりかためているか」を描いたという、松本隆プロデュース作。 各曲に充満する悪夢とアイロニー、『ガロ』的な黄昏の魅力で気分の良い曲は多くないのに、何故か通して快く聴こえる。矢野誠、伊藤銀次、鈴木慶一らが揃う演奏の力もさることながら、冒頭と、ラストにそれぞれ置かれた下記二曲の、心象ではない優しい現実の景色が、それらをすべて包み込んでしまうからか。やはり名盤でありましょう。

1)あの娘と遠くまで
 逃げ出したいほど嫌なことから、抱きしめ、耳を塞いでくれる〈あの娘〉の存在。手書き歌詞の傍らに佇む奥さんの姿も目の端にちらりと。「あるべき姿で草は茂り」のくだりが全体を爽やかにまとめ上げている。何度聴いても飽きない名曲。

2)26ばんめの秋
 タイトルは松本隆の命名によるという(当初ステージでは「おばあちゃん」というタイトルで披露していた)。自然の静かな叙景と、家族の繋がりの風景と、己の存在の不思議。アルバム『ラブソングス』諸曲も、「山辺に向いて」も、「’84冬」も、すべてこの曲から発展して生み出されたと思えば、ご本人がコンサートのMCなどで自画自賛するのも納得。〈すべてが詰まっている〉というありきたりな表現も躊躇ない名曲。

3)どうして二人はこうなるの
 二泊三日集中、一発録りに近かったという同盤のセッション的魅力がわかりやすい曲。かつて川仁忍氏が「吹き出物みたい」と表現したという、アルバムに一曲は入っているアレ。なんだかんだでどれも好きなので、最近の曲にそれがないのは少し寂しい。

3.ラブソングス(’77年作品)
 30歳を迎え、男として、父として、夫として歌い上げる命と情の景色。決して強くはないけれど、キラキラ燃える花火のように眩く、脆く、儚く、しかし芯は太い〈愛の歌〉たち。
 伴侶も子もなく、親子関係もお世辞に良好とは言えない今の私に、この盤を真っ当に評価する資格はあるんだろうかというのは、聴くたびに思うこと。だからこその憧れはあるのかもしれないし、「私にはできないこと」という視点からのファンタジーに見える瞬間も、あるいは、もしかしたら……「とどのつまりは分からない」のが30の世界らしいけれど。
 それはそれとして、やはり現在にまで至る岡林信康の歌世界の、〈金字塔〉のひとつであることは揺るぎないでしょう。

1)花火
 花火を手にはしゃぐ娘と息子、小さな二つの美しい光の中に、「僕は燃えているだろうか」と遠慮がちながらも、しっかりと投げ込む強かさ。美しいギターと囁くような歌声が、このアルバムの美しさを象徴する名曲。

2)ベイビー
 大学生らしく恋をしていた頃(上手くいかなかったけれど)、この曲と「あの娘と遠くまで」は、歌詞をどストレートに受け止めて……。

3)みのり
 おばあちゃんと娘のみのりちゃん、長男の大介くん。ほとんど同じ時間の交わることがなかった。それでも星空のように、過去から未来へつながっている。思えば不思議な、とても岡林信康らしい視点。近作「さよならひとつ」は本作と特に相関し、さらに年輪の重み、深みを増していく。 余談ながら、私が近年愛しているアニメーションに『アイカツ!』というものがあって、これは〈繋がり続ける憧れ〉という縦軸のエモーショナルが最大の魅力だと思っているのだけれど、岡林信康の一連の〈血縁歌〉にも、もしかしたらそういう部分を感じているのかも。というのは今考えた妄想。

4.信康(’91年作品)
 岡林ハマりかけ初期、中古盤に遭遇し、初めて聴いたエンヤトット。 エンヤトットに対する世間的な〈悪評〉はすでに目耳にしていたので、本盤における〈おちゃらけ〉のお約束を一切排するほどの構成と、サムルノリも参加した熱量高い演奏に「いいじゃねえか。エンヤトット」と唸った。その印象から未だにこの一枚は特に愛着深いものがあります。
 ゴスペル調の女声コーラスアレンジも、ご本人が音楽的原点のひとつと見なす〈賛美歌〉と通底しているようで興味深く。

1)今夜は朝まで踊りましょ
 和太鼓の前打ちのリズムで解放的になりましょうという、至極シンプルでわかりやすいエンヤトットの代表的メッセージ。ライブ向きな、楽しい楽しいアンコールの定番。御歌囃子の各メンバーが次々に見せ場を彩る近年のステージも好き。

2)ロコモーション
 正調岡林ロック(?)とでもいうべき「ミッドナイト・トレイン」路線の秀作。錆びた鉄道線路に寂れた街、描かれる風景はディラン調? しかし、ハーモニカと韓国の打楽器が乾いた空気を切り裂く緊張感は、この時代の岡林が見つけた新しい魅力。

3)はるか深き光に
 いわゆる〈ベアナックルレビュー〉期に書き溜めただろう弾き語り曲の数々は、寡作時期だったとはいえ全キャリアから俯瞰しても驚異的な水準の高さ。これらの内省的な表現が、より具体を歌う〈私小説的作品〉の背骨を支えている。

5.ベストコレクション歌祭り2(’03年作品)
 公演会場で販売するために制作された全曲新録音のベストアルバム。シリーズ全三作の二枚目。この手の企画で〈あの二曲〉を漏らすわけにはいけない……のもあるけれど、00年代岡林のボーカルの魅力を感じられる一枚としても……な言い訳じみた選盤。
 あの日灯った岡林信康に対する興味が一過性の熱で終わらなかったのは、なによりも〈現在の姿〉に触れて、素晴らしいと思ったからに他なりません。
 最初期からの魅力だった、「チューリップのアップリケ」などに顕著な伸びる〈美声〉に、深い加齢の味が加わって、その配分が絶妙なまろやかさを生む。この時期がボーカリストとしてのピークのひとつではなかったかと、割と本気で思っています。

1)山辺に向いて
 「無理やり冬を生きていた」という自身を「めぐる生命の音」に解放する大名曲。ただの自然礼賛とも読めなくもない素朴な言葉が、どうしてこんなに心の深いところに落ちてくるんだろう。2013年の日比谷公会堂でも、去年(2017年)出たカセットテープのCD再発を聴いた時も、その度に思い続けている。きっと今年も六本木でそう思うに違いない。

2)自由への長い旅
 50年近く常に歌い続けてきた岡林信康の人生のテーマ曲。「信じたいために疑い続ける」などの歌詞からは、『見るまえに跳べ』(1970年)のディレクターでもあった早川義夫からの影響も邪推されるが、真相は不明。この曲に関しての、サンボマスター山口隆との以下の対話には感銘をうけまくって、岡林信康に関する最初のひとり同人誌を作った時にも、巻頭にでかでかと引用させていただいた。
 山口隆「自由への長い旅は?」
 岡林信康「あれは今でも歌えるよ」
 山口「ということは、やっぱり今でも自由への長い旅なんでしょうね」
 岡林「そうやろうな。そうでなかったら恥ずかしくて歌えへんよな」(「QUICK JAPAN」VOL.68/2006 太田出版)

3)らっせーら!
 『風詩』(2008年)以降のエンヤトットの魅力は、バンマス平野融氏を除くメンバー全員が本職の民謡演奏家(吉田氏はブラジル音楽とやや特殊だけれど)であるという点。「江州音頭物語」で語られる祭りの陶酔感をエンヤトットの理想とするならば、実際の祭囃子を材にとった本曲はまさしく自家薬籠中の物。このグルーヴが最上のものであるのだろう。エンヤトットを嫌がる向き(がいるとして…)は「何故それを岡林が…」と思ってしまうのかもしれないが、やはりひとつの音楽として抗えぬ魅力がある。

○後説〜自称狂信者の長い旅について
 私、石丸まく人は自称〈岡林信康教信者〉を名乗り、コンサートに通ったり、雑誌、新聞、書籍等記事を集めたりする中で記録や発見などの成果を自前の媒体にまとめる活動をひとりで勝手にやっております。 媒体というのは〈ひとり同人誌〉や、無料配布の〈ひとりミニコミ〉のようなもので、主に同人誌即売会などで頒布をしたり、一部はインターネット上で公開もしております。
 岡林信康に関することなら偏りなく何でも取り扱うように、まだまだ頼りない点もありますが、日々精進しております。中でも特に〈岡林信康の歌をカバーした他者の音源〉のコレクションは珍品含め100を超え、そろそろこの分野に関しては日本一を名乗っても良いのでは……という自負も芽生えつつあります(実は似たり寄ったりの「山谷ブルース」カバーを延々買い続ける〈苦行〉でもあったりするのですが……) また、Twitter上の岡林信康情報をRTしたり、勝手に発信したりする「岡林信康bot」の中の人でもあります。 様々やっておりますが、諸々活動に関しては以下にまとめておりますので、ご興味あればご高覧くださいませ。
【岡林信康簡易ファンサイト】http://isimaru.gooside.com/okabayashi.htm