友川カズキ編

人物編25回目は、いよいよ「フォークの狂気(凶器)」友川カズキさんです。この人の魂の熱量と切羽詰まり方は半端ない。超絶・孤高の世界を血反吐で叫ぶ。牙を剥く歌の強烈さは世界最高峰だろう。

私の記憶に深く刻まれているのは、NHK「フォークの達人」の公開ライブを吉祥寺で観た時、いきなり「私の歌はまともな精神では聴けない」「私のファンはみんな精神病院に居る」「ライブは自爆テロ。1人2人死んでも良い」と、とても公共放送では放映できないような語りを聞かされて、ビックリしながら、なるほど・・・なあ、、、と納得した。(当日のライブレポートは、こちら)

また、「初期傑作集」のライナーノーツに、あの大島渚監督が、
「友川カズキの歌が胸に沁み入るとしたら、君は幸せだと思え。涙が溢れたとしたら、君は選ばれた人間だと思え。君にもまだ無償の愛に感応する心が残っていたのだ。」
と書いてあり、ああ、僕も選ばれた1人なのかなあ?と思った記憶がある。

人間的には破滅型破綻者としか言いようがないが、競輪をこよなく愛し、絵の方が歌より稼げる、という才人でもある。上記ライブでも、焼酎をグビ飲みしながら「今日は、明日行く観音寺競輪の小遣い稼ぎに来た」と、冗談ではなく言っていた。

これまでも「鑑賞に覚悟が必要」とか「決してBGMになりえない」といった解説を書いてきたが、「言葉は気持ちが勃起しないと駄目」で「どっか狂ってないと生きて行けない」と宣うこの人こそ、正に「眠っている人を叩き起こして心臓を掻き毟る」究極の存在である。

以上のような常軌を逸した歌の数々に対し、正直に白状すると、正常な精神?の私には、聴くことは辛く、まして解説できない。そこで、今回は特別に、若手の怪人Iさんに、以下のアルバム紹介をお任せすることとした。

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ここからI=石丸まく人の文章です。

1.無残の美(’86年作品)
 親友・たこ八郎の事故死、弟・及位覚の自死に捧げられた自主制作盤。 この頃の友川は、数年の歳月をかけた渾身の千行詩「地の独奏」の「すばる」(集英社)掲載の機会を得、書籍出版(矢立出版)もされることで、詩人としてのひとつの達成に至る。 また、自作の絵がヨシダ・ヨシエに認められたことから、個展を開催し、画家としての道を本格的な踏み出し始めた時期でもあった。 レコード会社からのリリースにこそ恵まれなかったが、表現者としては名実ともに最も豊かなピークのひとつを迎えており、その沸き立つ力がそのままに反映されたような名盤だ。

1)ワルツ
【晒すのは恥しかない/ありのままあらん限り/血肉とていつかは/皮膚を出て不明になるのだや】
 82年、「千行詩」に着手し始めた頃、知り合いの写真展のオープニングパーティで殆ど即興で創ったものだという。 ままならぬ人生のあわい、生と死、出会いと別れをワルツの流れに乗せた、本盤のテーマであり、友川の歌世界を象徴する名曲。現世から遠く離れた人々への鎮魂歌のようで切なくも美しい。

2)無残の美
【その死は実に無残ではあったが/私はそれをきれいだと思った/ああ覚/そうか死を賭けてまでもやる人生だったのだ】
 詩人でもあった実弟・及位覚への哀悼歌。 大阪の鉄道線路の上で命を焼き尽くした弟への想いを、衝動の駆ける性急さのままに、音に収まりきらないほどの狂おしい言葉で叩きつける。触れただけで血が吹き出るような友川の真骨頂。身内の無残な死をも〈美しい〉と讃える表現は、覚悟無く聴くことをリスナーに許さない。 生前の覚は日雇い労働をしながら放浪をし、その中で詩を書いていたという。友川の覚に抱く特別な愛情は、友人たちに助けられながら『及位覚遺稿詩集』(矢立出版)を上梓したことからも見て取れる。

3)坊や
【何にも解せぬ僕の赤子は/今夜もこんなに寒い真夜中】
 友川のアイドル、中原中也をとりあげた一連作の白眉のひとつとして。 友川カズキの表現の原点は中学時代、図書室で偶然出会った中原中也の「骨」であった。以来中也に心酔した友川は、現在に至るまで数多くの中也作品を歌っている。
 その熱意は、まるごと中也詩で創ったアルバム『俺の裡で鳴り止まない詩』(’78年作品)にも結実し、中也の母から「中也の再来(アンコール)じゃ」と絶賛されたという。
 本盤のテイクは、その〈中也アルバム〉からの再演だが、絶叫短歌で知られる歌人福島泰樹(友川同様に中也をベースとした作品を創っている)の存在感が特に光る。

2.海静か魂は病み(’81年作品)
 はみだし劇場、菊池豊、中上健次、立松和平、福島泰樹……演劇、文学などとの繋がりの濃さを増す80年代の友川は、鋭利な感性を自在に振り回す、無頼の表現者としての道を確立していく。
 本作と『桜の国の散る中を』(’80年作品)は友川が望郷と青春の歌手から一段突き詰め、自己表現の更なる極北へ突き進む重要な二作である。
 吸い込まれそうなジャケット画は自画像らしい。

1)木々は春
【今すぐにでもさ/減らず口を叩いてさ/胸という胸の哀しみを語ってしまいそうだ】
 この時期の友川作品を〈プログレ〉と評する向きがある。友川が天才と評し全幅の信頼を寄せる石塚俊明(頭脳警察)が中心となったハードロック的演奏を、尺八や琵琶などの音が彩り、役者の朗読や、女声コーラスが複雑に絡んで行く展開は、『身毒丸』の頃のJ・A・シーザーにも通じる劇場かつ激情的な表現を見せる。 本曲はその特性が最大限に活かされ、圧倒的な生命力が激しいテンションの山海を駆け抜けていくアルバムのハイライトだ。

2)山頭火よ
【山頭火よ/夢間に厳寒の風を見た】
 いうまでもなく漂泊の俳人種田山頭火のことであろう。饒舌な作品が多い友川にしては、シンプルに削られ研ぎ澄まされた言葉に、当時のバンドメンバー古家恭子の作曲による凛と美しい旋律が響く。 友川の歌は自然や季節の描写も多いが、特に〈空〉が印象深く登場する。秋田の空、川崎の空、心象の中にある空。抽象画のようにない交ぜにされた〈空〉のキャンバスに、自身の心を映し出すのだろうか。「山頭火よ」での〈空〉は寂寥として厳しい。
 ドキュメント映画『花々の過失』のラストシーン、自室で泥酔した友川がこの曲を静かに歌い上げる光景には胸を打たれた。

3)神様になれ
【熱い少年はウタに憑かれて/道化役者にこだわっていて 首からもげた/きれいな少女は爆弾かかえて/笑ってみせたがとっくに空に犯されていた】
 初期から様々に歌ってきた育ての親「おじっちゃ」をここでは神様にしてしまう。 故郷も都会も、過去も未来も、あらゆる記憶を詩の内に混ぜ込んでしまう友川。上記引用部分は痺れる程にかっこいいと特に思う

 

3.復讐バーボン(’14年作品) 
衰え知らずの近作から。久しぶりにレコーディング前のリハーサルを行ったと宣伝される自信作で、それに見合った完成度を誇る。
 友川の作品には、親族友人に始まり、文学者から、映画監督、画家、氏の生き甲斐である競輪選手まで多様な人物が登場する。次々投入される人名、次々引用される他者の言葉は、一つ所に定まらない友川のイメージの洪水の中で強烈な具体の渦を描く。
 酒と詩と短歌と絵を愛する無頼の芸術家は、意外とテレビバラエティの芸能人が大好きなミーハーで、何より競輪を文学であり人生だと語る。そこに聖俗の隔てはなく、すべてが友川の眼差しの上で同列に踊り続けている。

1)『気狂いピエロ』は終わった
【ジャンポールは巷へ立ち消え/言葉は言葉へ帰った/しかし実際トゲだらけの風/これは映画の続篇なのか】
 フランス映画の巨匠ジャン=リュック・ゴダールである。ジャンポールは『気狂いピエロ』の主演男優の名。友川にはスペインのビクトル・エリセをモチーフにした「エリセの目」という曲もある。 夢のように突飛な編集や、強い色彩感覚をともなう〈ヌーベルバーグ〉の旗手の表現からは、友川の詩の編集感覚や、キャンバスに描き出す夢幻との共通点を見出すことができるようにも思える。 そうした中から飛び出してくる「歌は平気でウソをつく」の一撃には、友川の表現論が込められているようでドキッとする。
 ゲストミュージシャン、吉田悠樹(NRQ)の二胡演奏も聴きどころ。

2)順三郎畏怖
【早鐘西脇順三郎畏怖/絵筆のたそがれの破天だよ/紫紺の炎こそまっすぐな外層だよ/あたかもそりゃそうだ/泣き尽くせ叙景】
 詩人であり、シュルレアリスムの運動家であった西脇順三郎の言葉「間断なく祝福せよ」に着想を得た一曲。本作発表当時、西村賢太との対談での解釈が興味深い。
  友川 つまり「暴れろ」ってことでしょう。(中略)
     日本人の結婚式なんて、お通夜みたいな結婚式ばっかじゃないですか。
     無理やり笑ったような顔をしてーーあれは祝福じゃないんですよ。
     それとは違う非日常をあの詩に感じたんです。
  西村 「間断なく祝福せよ」という字面だけを見ると、「褒め殺せ」という感じもありますが、
     それとも違うんですか。
  友川 まあまあ、「踊れ」って話でしょうね。
     ーー「en-taxi」Vol.42 2014年夏号より
 大杉栄、辻潤らアナキストの言葉を好み、「度を越すことが大切だ」と常々語る友川による、〈逸脱のススメ〉か。

3)家出少年
【目をつむり乍ら走り去るあの煩わしさは/すべて遠い春の日の少年の骨の中だ】
 若い頃の作品の再演。布団の中で「このままでええや」「このままじゃダメだ」と逡巡し、跳ね上がる様を歌う。 「自己嫌悪と自己顕示欲こそ表現の源であり、その落差こそドラマの核」(著作『友川カズキ独白録』(白水社))より)、その若さ故の激情の〈落差〉を叫びに転化したような一曲。
 この再演に際して追加された補作は、友川の抱く〈3.11福島〉への怒りである。怒りもまた友川の表現の源だ。

4.初期傑作集(’89年作品)
 徳間ジャパンから発表された最初期三作から編まれたベスト盤。
 秋田でバスケットボール指導者への夢を失った及位青年は、東京での労働生活の中で孤独感や故郷への複雑な想いを抱え続ける。その優しくも不器用なあがきが歌となり、時に〈ハングリーフォーク〉とパッケージされ世間に向け発射される。 「川崎的俺と秋田的俺が時々口喧嘩をする。そしていつものように最後は同じ所へ帰って行く。俺的俺に成れないもどかしさが時々、都市の腐乱寸前のモラルに呪縛されそうになる」(著作『死にぞこないの唄』(無明舎)より) 「八竜町の少年たち」の中にも挿入される「続きの村」という詩からは、友川の初期の歌に語られる望郷が、実は〈現実ではない心象のふるさと〉でもあることを読むことができる。
  夢を遠く追って行くと
  続きの村がある  (中略)
  美しかったはずの俺の心象風景が
  泥をかぶったまま膝を畳んで
  深い眠りに入ってしまった
  そしてまた
  続きの村
   ーー続きの村(抄)/著作『詩集 吹雪の海に黒豹が』(無明舎)より

1)生きてるって言ってみろ
【夢と現実ぶらさげて/涙と孤独を相棒に】
「生きてるって言ってみろ」というあまりにも直截的なメッセージ。寂しさ、悲しさ、辛さ、惨めさの奥底を貫かれるような代表曲。
 友川の音楽の最大の特徴である、マシンガンのように迫ってくる声帯からの破裂音。感情の発散、発露としての振り絞られる叫びは、時としてそれを浴びる者にも愉楽を与えることがある。三上寛と並んで〈日本のオリジナルパンク〉と呼ばれる所以は、そうしたボーカリストとしての特異な魅力にも起因するだろう。

2)歩道橋
【かごの中で鳥は狂い乍ら死んだ/枯れてうつむく赤いとうがらしの花】
 初期作ならではの残酷なメルヘン。近年刊行された『友川カズキ歌詞集1974-2010』(ミリオン出版)では「歩道橋の上から愛が見える」が「哀が見える」に改作されている。
 後半は不良青年であったという末弟・友春に向けて書かれた詩「自動車」に突入し、やがて打ち上げ花火のような狂気の笑い声に包まれる。

3)春だなぁ〜節
【酒はたらふく呑むものだ/恋は死ぬまでするものだ/唄は飽きるまでもするものだ】
 友川の詩に〈春〉が多いのはやはりお国柄だろうか。それはそれとして、秋田弁ポエトリーディング諸作や、「しらけ鳥音頭」など、宴会師とも呼ばれる朗らかな友川の一例として。
 あまりに濃すぎる名曲群の影に隠れがちだが、初期の友川には愛らしい小品もまた多い。トボけた味わいの「電話」「冷蔵庫」、児童文学のような「地球学校」、郷里秋田民謡のメタ解釈「乱れドンパン節」、近年なら「イナカ者のカラ元気」など、どれも友川の優しさの側面をうかがい知れる作品たちだ。

5.青い水赤い水(’08年作品)
 顔面神経麻痺闘病からの復帰作。いつになく内省的な表現を、常連サポート陣の円熟味増すバンド演奏で昇華する。長年の相方石塚俊明に加え、永畑雅人(ロケット・マツ)と、パスカルズの面々の演奏は近年の友川作品の聴きどころのひとつである。
 バスケットの道を志したスポーツマンであり、長く日雇いの肉体労働者でもあった友川にとって、魂の依り処である〈肉体〉もまた、創作における重要なキーワードである。本作でもいくつもの〈肉体〉が登場する。

1)いつか遠くを見ていた
【後悔なかれ水色の電車は/雪降る川で大根洗えば/ベートーベンが流れてゆくよ】
 極彩色の悪夢のような光景がどこまでも続く。彼岸の中に立っているような目線。まるで精神が〈肉体〉から切り離された光景だ。近年傑作のひとつ。

2)青い水赤い水
【仮そめじゃなく具体をしたいのだ/声あらば/つねれば痛い肉があり口惜しさがある】
 〈あさま山荘事件〉をイメージした作品だという。水とは〈血〉のことか。生と死が肉薄するギリギリの状況を、肉体的表現で綴る。

3)続・ボーする日(ヘルペスとのたたかい)
【そん時やこちとらスリーポイントシュートだ】
 「もう歌えないかも」と覚悟したという顔面神経麻痺との闘病生活を描く。言葉を喋ることも覚束ない。もどかしき己が〈肉体〉への唾棄。


 すべてに唾棄すること。表現者として唾棄する覚悟を持つこと。
 生きづらいことを、生きづらいと抵抗し、叫んでくれる者の存在で誰かが救われる。そんな一面が友川作品にはあるのだと思う。
 映画『花々の過失』でも印象的だった以下の発言を引いて、本稿の結びとしたい。

「私は永遠に唾をはく。自分にかかってもいいんだよ。」


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 さて、この「T’s Selection人物編」、若い戦力も補強しつつあるので、次回は誰になることやら?

2018年10月記

 

 

2018年10月記