高石ともや編 ~ 特別ライブ・レポート付き ~

 人物編15回目は、前回(日本ロックの始祖=早川義夫)に続き源流を辿る旅。日本フォークの始祖、高石ともやさんです。岡林信康音源の奇跡的な大量復刻が実現した08年を振り返る時、その岡林を「こんな歌で良いんだ!」とその気にさせた恩師とも言うべきこの人も要注目、である。
 世相は、オバマ新大統領の「CHANGE」に湧き立ちながら、その米国発「100年に一度の金融危機」から急速に不況が到来し、「蟹工船」が売れた08年だったが、09年は本物の「日本フォークの父」として高石にもスポット・ライトが当たるかも。
 とは言っても、高石は特に思想的に過激だとか、個性が強烈というタイプのアーティストではない。より広くおおらかに民衆の歌(=フォーク・ソング)を、あらゆる場所やイベントで世に紹介する伝道師のような存在である。基本的な良さは、人生に肯定的で人間的な包容力が豊かなところ。同時代の多くのフォーク・シンガーに共通する暗さや偏狭さ、斜に構えた姿勢が見られない。その深い笑顔と“ふくよかな”声がすべてを語っている。この人の歌を聴けば「生きるエネルギー」をもらうことが出来るだろう。
 おそらく、北海道での(和歌山・愛媛からの開拓農民の祖父母と暮らす中で)朝から晩までのキツい農作業&自然体験や、年齢的にも既に大人だったことが、そうした役割に繋がったのではないか。路上など野外で歌うことが多く、正に「フィールド・フォーク」との表現が似合う。その歌の多くは、アメリカ民謡(フォーク、ブルーグラス、カントリー)や日本の童謡など古くからのメロディに歌詞を付けて伝える、というスタイルで、ナターシャ・セブン(福井県名田庄村の廃校で暮らしていた時代)というバンドでの「107 SONG BOOK」も有名。小沢昭一的な演芸収集・伝承者としての存在意義も大きい真の「芸能」人。
 逆に言えば、個別の歌への高石オリジナリティや、アルバムとしての作品性は薄い、というか、殆ど無頓着な感がある。有名な受験生ブルースも、元は中川五郎の暗い歌を勝手に翻案してコメディ・タッチに仕上げたもの。そうした商業性は(「歌で世界を変えよう」と信じていた)甘ちゃん運動家達の批判を浴び、疲弊して渡米。苦悶の中から「楽しむフォーク」を持ち帰り、名田庄村に14年間に亘って陣取り、京都で(宵々山コンサートなど)独特の音楽活動を展開してきたのは、知る人ぞ知る。 08年には、NHK大阪のTV番組から生まれた巡礼歌集「西国三十三ヶ所めぐり」というソングブックを出したほか、中津川フォーク・ジャンボリーを始めた盟友、笠木透も「私に人生といえるものがあるなら~70歳のラブソング」を発表。J-POPの礎を築いた人生の先輩方は、皆さん、驚異的にお元気である。
 元気と言えば、マラソンやトライアスロンでの活躍も高名。なにせ日本最初のトライアスロン優勝者、アメリカ大陸を横断するウルトラマラソン最高齢完走者(4700Km、64日間!)のスーパーおじさんで、有森裕子の「自分を誉めてあげたい」の語源者であることも有名か。
 さて、多くのアルバムは、ベスト盤のごとくお馴染みの歌が(どのアルバムにも繰返し)混在しており、選定は難しい<苦笑>が、5枚を選出。

 

1.あわてなさんな('97年作品)
・ベスト1は、おそらく意外、というか知る人も少ないであろうこの1枚。比較的最近、高石が50歳台でアイルランドの音楽に出会い、ザ・サファリンゲールというシアトルのバンドと現地録音したアルバム。谷川俊太郎の現代詩や自身の過去の代表作を、アイリッシュ・ミュージックに乗せて“たおやか”に歌っている。独立したアルバムとして纏まっており演奏を含む品質が高いことから、1位に推す。

1)じゃあね
・5編収められた谷川俊太郎作品のひとつ。あらゆる別れに似合いそうだが、年取った父親が息子に語りかけている感じの歌である。
・「年を取るのはこわいけど ぼくにはぼくの日々がある いつか夜明けの夢のはざまで また会うこともあるかもしれない じゃあね」「ひとりぼっちはこわいけど きみにはきみの明日がある」「もう振り返らないでもいいんだよ さよならよりもきっぱりと じゃあね」。
・高石は「この詩を曲にしなければ50歳を越えられぬ気がした」とコメントしている。

2)シアトルへ行こう
・このアルバム録音のために滞在したシアトルの、レコーディング最終日の朝に出来上がったという曲。「不思議な静けさが好き」というこの街への好感や、おそらくはレコーディングの満足感が素直に出ていて、伸びやかで快適な歌になっている。
・「ずっと昔に出会ったような 懐かしい いい気持ちなんだ 旅に出たのさふるさと遠く 友だちさがしの楽しい旅さ」。

3)川よ
・米国フォーク歌手ビル・スタインの翻訳。だが、高石自身の人生観が反映された自作のような立派な作品となっている。
・「生まれは遠い北の国 緑の山育ち 雪解け水はさかまいて ごうごうと流れてた」と、石狩川を思い出して始まり、「川よ輝いて ぼくらを連れてゆけ 母のようにおだやかに やさしい川よ ぼくを連れて 流れ流れ流れゆけ」と締め括る。

 

2.さあ、陽気にゆこう('93年作品)
ソングブック・第2位は、いきなり反則気味だが、このCD本を買えば、概ね高石作品の全体像が手に入る(全28曲!)、といった趣のアルバム、というか本である。高石のアルバムにはベスト盤的な物が多い(しかも、区別が付きにくい・・)が、本作を買えば、歌詞のほか、楽譜と簡単な解説エッセイまで織り込まれていてお買い得。

1)八ヶ岳
・私の好きな歌ベスト10に入る名曲。5年目の遅いハネムーンに八ヶ岳を訪れた若いカップルの恋の歴史と子供への愛情・責任感を絶妙に歌い上げ、人生の機微が詰まっている、と思う。
・「花飾りが似合うよ若い母親だね 手を伸ばせば八ヶ岳空が高いね」「いつのまにか季節は変わっていたね 忙しいと言いながら君を忘れていたね」「歩き始めた子供の手をひく君を 後ろから見守れば あの山にも似てぼくは父親」「明日からは街暮らしまた始まる 八ヶ岳はもうすぐ初雪なんだね」。
・八ヶ岳に旅する都度、この歌が一種憧れの家族像として心の中を流れる。作曲した杉田二郎も歌っている。

2)私に人生といえるものがあるなら
・中津川でフィールド・フォーク活動を展開した笠木透さんの作品。「遠望楽観」主義者らしいスケールで、ゆったりとした人生のテーマ・ソング。
・「きらめく草の葉に心がはずみ 野に咲く花に心が通う 私に人生といえるものがあるなら あなたと過ごしたあの夏の日々」。
・最近、通勤電車内で聴いていて、ふと「“あの夏”って、もしかして、高石や岡林たちと中津川で<全日本フォーク・ジャンボリー>の会場を開墾した69年の夏?との推測がよぎった。考え過ぎかな<笑>。・笠木さんご本人も70歳!の今年、セルフカバーしているが、幅広い人々が人生の愛唱歌にできそうなスタンダード・ナンバー。

3)私の子供たちへ
・これも笠木透作品。田中角栄の日本列島改造による自然破壊が進む中、まるで今日のエコ時代到来を予見していたかのような自然環境保護ソング。
・「生きている鳥たちが 生きて飛び回る空を あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは」「目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう 近付いてごらんなさい こぶしの花があるでしょう」。・現代における大人の、次世代への責任を感じさせられる。

 

3.ファミリー・フォーク12曲集~お父さんていいもんだ('92年作品)
・第3位も、ベスト曲集。国際家族年に向けた「家族の話題」シリーズとして親子、家族、思春期を歌った歌を集めた作品。代表的な名曲が良いバランスで収められている。

1)野の花のうたがきこえますか
・日常の平凡な暮らし、その中で悩み惑い、助け合いながら、子供は育ち夫婦は年老いていく。そうしたあるがままの生活をポジティブに歌った佳曲として、好きです。
・「小さな花が咲いています いつもの朝 いつもの道 ただそれだけの今朝のできごと」「生きていくことはこんなに 自然なこと 野の花のうたが 聞こえますか」。

2)春を待つ少女
・少女の目覚めと成長・旅立ちを、ねこ柳と対比しながらやさしく歌った作品。馴染み易い曲だが、その詞は少し謎めいているような気もする。
・「つめたい風の 丘に咲く 光る花はねこ柳 今日もたたずむ娘ひとり 海をみつめて誰を待つ」。

3)街
・現在高石が暮らしている京都の街を歌った市民祭りのテーマ・ソング。街への愛着とやさしく懐かしい風情が感じられる。
・「下駄の音 路地裏通り 雨上がりの屋根 窓越しの手鞠歌 お下げ髪の思い出」「この街が好きさ 君がいるから この街が好きさ 君のほほえみあるから」。

 

4.坊や大きくならないで~フォークアルバム第3集('69年作品)
・第4位は、お待たせしました!感もある初期のオリジナル・アルバム。反戦歌や労務者の悲哀を描いた歌など、最も社会批判色とロック色が濃い作品。岡林で言えば「見るまえに跳べ」に相当。演奏はジャックスの変名のベティーズと、西岡たかしと五つの赤い風船が務めている。CD化に当たり、ボーナストラックとして、「死んだ男の残したものは」や「イムジン河」なども追録され、プロテスト・フォーク名曲集の趣も。

1)明日なき世界
・高石がかっこよくロックしシャウトしている珍しい作品。PFスローンのカバーで、内容はモロに反戦歌であり、キューバ危機を時代背景に第3次世界大戦による人類の危機に警鐘を鳴らしている。
・「東の空が燃えてるぜ 大砲の玉が破裂してるぜ お前は殺しのできる年 でも選挙権もまだ持たされちゃいねえ」「でも鉄砲かついで得意になって これじゃ世界中が死人の山さ」。

2)ランブリング・ボーイ
・トム・パクストンの有名曲カバー。アメリカン・ホーボー(放浪の労務者)の友情と永遠の別れを歌って、感慨深い作品。岡林なども歌っていた。
・「あいつは男 一緒に苦しみ 一緒にさまよった 雨の日も風の日も 今祈る流れ者 この旅に幸あれと 今祈る一人旅 あいつに幸あれと」。

3)もしも平和になったなら
・チン・コン・ソンのカバー。ベトナム戦争の最中に、平和の到来を希求し、明日への望みを明るい編曲で歌っていて、反戦歌の中でも一風変わっている。
・「もしも平和になったなら旅に出よう 山の向こうへ 静かな森で小鳥がさえずる」「サイゴンの町からハノイの町まで どこまでも旅に出よう 平和になったら」。

 

5.高石ともやとザ・ナターシャセブン('90年発売作品)
・最後は、ザ・ナターシャセブンとのベスト・アルバムで締めよう。同じ東芝から「ビッグ・アーティスト・ベスト・コレクション」と全く同銘を打って95年にもベスト盤が出ているが、いずれも「107 SONG BOOK」からの編集でありながら内容は大きく異なる(不思議なことだ)。

1)陽気にゆこう
・高石のテーマ・ソングと言っても良い代表曲。正にタイトル通りの前向きなメッセージが歌われた人生応援ソング。
・「喜びの朝もある 涙の夜もある 長い人生ならさあ陽気にゆこう」「陽気に行こうどんな時でも 陽気にゆこう 苦しいことは分かっているのさ さあ陽気にゆこう」。
・先日のテレビ番組(誰も知らない泣ける歌)では、奥(てるえ)さんの癌闘病ソングとして紹介されていた・・・。

2)私を待つ人がいる
・これも同様の積極人生賛歌。もちろん、単純に楽観的なだけの訳はないが、実際の人生には辛く苦しいことが多いからこそ、こうした歌のもたらす力があるのだろう。
・「いつの世も人は海へ山へと 旅に出かけるけど 私の好きな谷間の村にゃ  私を待つ人がいる」。
・待っている人がいると信じて生きることが大事だそうで、この際、待つ人がいる、と無理にでも思い込んで、生きて行きましょう!!

3)思い出の赤いヤッケ
・本来は最初に来るべき66年のデビュー曲が、最後に来た感じ。高石がバイトをしていた新潟赤倉スキー場ロッジで慶應の学生が産み出したらしい、素朴で良い歌。こういう自然発生的な歌こそが、フォークソングに相応しいのかも。
・「いつの日にか 君に逢えると きっときっと信じてた けどもうやめたやめた」「白い雲と青い空と赤いヤッケとあの娘と 今のゲレンデは思い出だけ 君の影さえも今はもう見えず」。
・月並みだが、誰しも覚えがあるだろう初恋とか青春の甘酸っぱい感じが胸に去来する。

 

*** 特別ライブ・レポート ******************
 08年12月19日、H管理人さんを誘って、高石ともや「年忘れコンサート」(よみうりホール)に行ってきた。毎年、季節の風物詩の如く、秋になると新聞に小さな広告が載り、「行きたいなあ」と思いながら延び延びになって云十年? お元気とはいえ今年辺り見ておかないと、見逃したら一生後悔しそうな気がした。

 高石さんのライブは、98年の11月に仕事で出張していた静岡で、大道芸ワールドカップ(大道芸とは・・まさしく!かも)の出し物として、2日間路上ライブに通いつめ、目の前で長時間見た(聴いた)ことはあるが、本格的なコンサートは初めてである。

 思った以上に良かった!!予め歌う歌の手書き「お品書き」が配ってあって<笑>、「42年前を再現する。66年9月初めてギターで5曲歌わせてもらったのが大阪労音“フォーク愛好会”人生の初ステージだった」として、その時のギターで初期のプロテスト・フォークをたくさん歌ってくれた。

 最初は飯場の労務者仲間が歌を教えてくれたそうで「フォークとは人から人へ伝えていく歌です」に、なるほど! 「物騒な時代、周りで3人ほど殺されて、フォークの方が安全だと思って歌手になった」にはビックリ。字あまりソングなど「僕が堤防にアリの一穴を開け、そこからバーっと広がった」との自負も披露。「僕はオリジナル曲がないから。作らなくても良い歌が沢山あるんです」にも、思わず納得。

 後半では、ブルーグラスの演奏に始まり、マラソンソング(故峰岸透を偲んで)やキャンプソングから、「平成二十年、冬がゆく」と題した1年を振り返る長い歌。
 
 「♪変な1年でした」と中国毒入り餃子から、リーマンブラザースの破綻、オバマ大統領の誕生から麻生総理がもちそうにない、など最近の時事ネタまで巧みに織り込んだこのトピカルソングが特に秀逸。「国家に生命を捧げ、会社に忠誠を誓い・・・、国も企業も義理を返してくれません」と年金や派遣労働者問題を鋭く突く。これぞ、ほんとの「ラストフォークシンガーになりたいこの頃です♪」(ラスト・サムライより)だぜ!。
 
 そして、最近の西国三十三箇所巡りの歌も、解説を聞きながら聴くとさらに良い。極めつけは、有機農業を勧める「いただきます」。昔の家族4人の楽しい夕げの思い出が込み上げ、熱く感動。
 
 お品書き(セットリスト)は、アドリブも追加して以下の通り。
<第一部>
 年少かごの鳥、学校で何を教ったの、ベトナムの空、のんき節、想い出の赤いヤッケ、風に吹かれて、時代は変わる、明日なき世界、ぼくのそばにおいでよ、俺らの空は鉄板だ、労務者とは云え、死んだ男の残したものは、バスのうしろ、受験生ブルース、マイ・ランブリン・ボーイ
 
 「マーティンやギブソンは高価で手が届かず」として当時愛用の「エピフォン社のギター」を持ち出しての演奏だが、音はキンキン、チューニングはできずで、ちと困り物(ご愛嬌?)。
 
<第二部>
 土の中のビリー、柳の木の下、オールド・ジョー・クラーク、おじいさんの古時計、オクラホマ・ミクサー、長い道、水は頑張らない、平成二十年冬がゆく、「西国三十三番巡礼歌」より3曲=空也さんのうた、ラスト・サムライ、満願の歌; いただきます、私を待つ人がいる、<アンコールで>陽気にゆこう、街
 
 マンドリンや、フィドル、坂本健のバンジョー、そしてマーティンのギターはやっぱり良い。

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 次回は、いつになるか自信がないが、日本フォークの新星?(と言ってもおじさんだが)=オクノ修さんに行こうかと思っている。

<08年12月記>