ヒロシマ

広島原爆資料館に行った。何年ぶりだろう。平和記念公園の美しいことったら何なんだ。リニューアルした資料館では「子供が人形を怖がる」「実物重視」という方針で、去年被爆再現人形が撤去された。反対も多かったのに。
改装工事が進み、焼けただれた皮膚などの写真が減り、一方で3D展示とやらが増え、オバマさんの折鶴とか展示してあり、以前とはだいぶ雰囲気が変わっている。

まずきれいになっている。お洒落になっている。これで原爆がどれほど残酷なものかが伝わるだろうか。もし自分たちの身に起きたらというイマジネーションが伝わるのだろうか。子供がトラウマに、という苦情を配慮するということであれば、戦争の残虐行為は伝えられないということになる。観覧に来ている、特に核を保有している多くの外国人にもっとメッセージを伝えてほしかった。

ニューメキシコの砂漠で実験に参加した科学者が、「俺たちはくそったれだ」と言ったという。核兵器を持つ国はくそったれなのである。石油も手に入らなくなり、日本が戦争をやめたがっているのがわかっていながら二度も、二種類の原爆を投下したのは莫大な開発費用(二〇億ドル、今の日本円で百兆円)がかかったから使わざるを得なかっただけのことだ(もんじゅをはじめ税金をつぎ込んできた原発をやめられない日本のように)。
ロスアラモス(原爆発開現場)で来年開くことになっていた原爆展は米国側の都合とやらで中止させられた。核保有国が北朝鮮に非核化を強要する不思議。

かつて幼い私は父に連れられてここに来た。殺風景な冷たいコンクリートの中、焼けただれた人間が並ぶ展示物を前に吐き気で動けなくなった。そんな私に父は何も語らなかった。その後、父と二人、元宇品マリンパークとやらに行った。池に鯛が泳いでいるだけ。ほかに何にもない、ベンチばかりの公園だった。「象さんのお墓」の立て札のある砂山。「昔ここにライオンがいました」の紙が貼ってある空の錆びた檻…。

私はベンチでうずくまっていた。頭の中を人間嫌悪とか、色んな感情が渦巻いていた。忘れられない場所になった。そこは今アース・ミュージアム元宇品(地球博物館)という大それた名の、今は瀟洒な国立公園になっている。
何もかもが変わっていく。そして忘れられていく。すっかり。すべてが。


 突然 思い出してしまった朝のにおい
 水の音突然 よみがえるあの頃のしあわせな あの子と私

 思い出は 眠っている心の奥にだけど
  きょうはたずねてきた時の彼方 すずかけ通り三丁目の白い家