九月になると

 九月になると、汗の噴き出す夏が撤退、僕は人と約束して、上野まで曇り空の蓮の花を見に行くことになっていた。

 都営バス上野69系っていうのに揺られてさ。咲いている、咲いている、赤、赤、赤だよ。よっこらしょ。時間はまだある。不忍通り沿いのベンチで、なかなか読みきれない厚い文庫本を取り出した。
 おーい、こんな所、本読む場所じゃねーぞ。ここはワシらの生活の場じゃ。そう言うかのように、ランニングの小父さんは、パタンパタンと隣で古いタオルケットをはたいている。お昼の日比谷公園なら、「ちょっとすいません、私、この本に集中したいんですけど」とでも言いたそうに、山下書店で買ったハードカバーの洋書をぱたんと閉じて、じろり横目で見るお嬢さんも居そうだが、この細長い空間は、本を読むことこそ「スイマセン」なのだ。生活者に囲まれると、今日を語らず、明日を求める理想論は絵空事なのだ。

 どんより沈んだ暗い空を見なよ、仲間外れにされたやせた黒いカラスを見なよ、地下駐車場を建築中の目の前の濁った水を見なよ。第一お前は蓮を見に来たんじゃろうが。おやおや、小父さんがこっちをちらっと見た後、公園の仲間達弁当を配り始める。アンパンもある。「ハスの花をレンゲとも言う。その花が清すぎるがゆえに、そこから浄土が生まれる」僕が読む本の言葉など、何の説得力もない。どんな人生送ってきたんですか、小父さん。なかなかかっこいいじゃないですか。ずっと通っていた教会の牧師さんの言葉よりびんびん来ますよ、あなたの姿は。今はせっせと汗してダンボールや缶を集めて、誤解の視線に耐えながら、黙々と洗濯に励む、そんなあなたの姿が今とても輝いて見えましたよ。

 1冊の本より、おにぎり1個の方が価値があるんだ。やせ我慢などやめて、正直に行こう。辛いときは辛いんだって。ついてなかったよって。そうだ、本に逃げるのはかっこ悪い。やめよう。昨日あった嫌なことは、背負って行けばいい。今自由であることに感謝しよう。まだ時間はある。上野から少し歩いてみよう。今の景色をしっかり目に焼き付けて。そして、かっこつけるのはやめて、今日こそは素直にもう小説なんか書くのは辞める。仕事を探すよ。一緒になってほしい、そう言おう。
 いや、言ってみたい。言えるかな。

 

 ぼくは生きてきた
   死のうと思ったこともあったけど
 ぼくは生きてきた
   そして誰よりもしあわせだった
 ぼくは君に会った
   ぼくは君に恋をした
 有頂天がつづいた
   ぼくは自分が素敵だと思った
 君と手をつないで踊った
   両方の手で囲むようにして
 ぼくは君とうたった
   君の色をした生活
 ぼくのような夜
   君は編み物をした

 時がたった
   しあわせがぼくらをつないでた