小室等編

 第9回は、日本フォーク界の長老にして高石友也と並ぶ開祖とも言える、小室等さんです。前回紹介した西岡恭蔵と同じく、04年3月にベルウッドBOXシリーズとして初期4作品+六文銭3作品が再発され、再評価の気運が盛り上っている?ところです。
 この人の良さは、その品質の高さというか精神的な気高さ、に有るのではないでしょうか。谷川俊太郎をはじめとして、名だたる現代詩人や劇作家の詩を使っていることもあって、(作品の内容は結構過激だったりするのですが)、どこかNHK的良識と教養と言うか、文化庁推薦的な匂いがして、一般のフォークファンからは必ずしも正しく理解されていないのでは、との危惧を禁じ得ません。
 一般的には、鬚の上條恒彦の後ろでギターを弾いていた人、フォーライフレコード設立時の社長として、拓郎や陽水、泉谷などを束ねた取り纏め役的存在、ないしTVの「フォーク特番」でニコニコと解説し「雨が空から降れば」ばっかり歌っている白ひげの老人、というイメージが強いかと思います。
 どっこい、結構、反骨でエネルギッシュで、何と言っても、草の生えないアスファルトのようだった日本の音楽・歌謡界に、アメリカンフォークソングの種を植え、それを日本化して育ててみせた功績は大きく、そのうち文化功労賞を貰ってもおかしくない人だと思います。
 名詩に名曲を付けた数々の作品は、思えば高田渡氏と手法が共通し、結果的に、両雄における、その作品群の「普遍性」は際立っています。例えば、「私は月には行かないだろう 私は領土は持たないだろう 私は歌を持つだろう・・」と歌うデビュー盤タイトル曲などを聴けば納得かな、・・と。

1.プロテストソング('78年作品)
・ベスト1はこの1枚。谷川俊太郎との共作(と言っても詩が先にある訳ですが)シリーズから、特に完成度が高い、と感じているこの作品。「プロテスト」とは何に対するプロテスト(異議表明)か、簡単に分からせてくれるほど浅いアルバムではありませんが、有名な詩集の表題でもある「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」を含む谷川―小室ワールドが満喫できます。

1)クリフトンN.J.
・「ぼくらはみんな過ちを犯し そのくせ正義を口にする」「ぼくらはみんな憎しみを恐れ そのくせ愛するのが下手だ」で始まるこの歌の中には、人生の深層とでも言えそうな真理が、さりげなく盛り込まれ、胸をジンとさせるものがあります。「ぼくらはみんな永遠を愛し そのくせこの時代のとりこ」・・。ニュージャージーの街角で、「ひどくみだらなこと」を喚く谷川さんが仄見えます。

2)一匹のカニ
・ハワイに旅行したり、ボルボを買って幸せになる君よりも、俺がうらやましいのは「赤い甲羅の一匹のカニ」であり、「枝を広げる一本のけやき」であり、「泣きわめいてる一人の子供さ」と、歌い、「負け惜しみかもしれないけれど」と結ばれます。バブル期的な贅沢社会へのアンチテーゼのようにも見えますが、「人は 細い路地の向こうから、どこに消え去ってゆくのか・・」という根源的な疑問の提示も含め、「生き方」の問題に深く切り込んだ作品だと思います。

3)おまえが死んだあとで
・親友か妻か、かけがえのない大切な人を失った哀しみを、ある種壮大に、厳粛に「おまえが死んだあとで 青空はいっそう青くなり」「おまえが死んだあとで ようやくぼくはおまえを信じ始める」「残されたくやしさの中で ぼくらは生きつづけひとりぼっちだ」、と歌い上げます。葬儀の後に、この曲を噛み締める日が来るのでしょうか。

2.長い夢('80年作品)
・80年代入りと共に、ついに谷川ワールドを脱し、自らが作詞作曲する作品です。それまでの長いキャリアからの栄養素を上手く吸い上げて、ひとつの「小室ワールド」を完成させたといった感じでしょうか。世間的には過去の人として忘れられる傾向が強まった時期ですが、名作だと思います。

1)長い夢
・正統派フォークソングの流れと、谷川俊太郎をはじめとする現代詩人との切磋琢磨とを経て、小室等が辿り着いた到着点のような作品。「何かが待っている訳ではなく 絶望を背負っている訳でもない さほどの意味がある訳じゃない 船に乗り合わせたのは偶然のこと」。長い航海に出る「船」とは、地球もしくは人類。「おかしなことだけど あてどないことだけど それでも船には夢が乗っている・・」。この曲を彼の代表作として歌い継いで行く必要があるのではないでしょうか。

2)寒い冬
・小室さんのパブリックイメージからはかけ離れたメーセージソング。「事実は議事堂の中で捻じ曲げられ 真実は交番の中に逃げ込む」「石油の値段で明日が決められ なけなしの心僅かな金で売る 詩人が溜息をつき 寒い冬が来る」といった歌詞を煽動的に叫ぶ。丁度第2次オイルショックの頃、夜のヒットスタジオでこの歌を披露した小室さんはカッコ良かった。でも、案外今でも通用するところが怖かったり・・なんかしますね。

3)町で
・何とも深い喪失感、隔絶感を盛り込んだスケールの大きな作品です。「ぼくたちの町は幾つにも分けられてる 他人の町では言葉は通じない」「景色も夕陽がかなしく色分けする 心も言葉も隔てられる」「言葉が二人の間に立ち 心が竦んで立ち上がる 何がそれを超える 誰がそれを壊して行く」・・「心が言葉を追い越してしまう」。深いでしょう。

 

3.父の歌('77年作品)
・名盤として名高い「いま生きているということ」に続く谷川作品3部作の第2作です(完結編がトップの「プロテストソング」)。レコードでのA面が通常の編成で、B面には「父の歌」組曲「朝の祭り~小さなスフィンクス~子どもは駈ける~子どもはこわす~子どもは泣く~子どもは眠る~父親は~見えないアルバム」がライブで収められています。どちらも高品質ですが、特にB面は、丁度父になった頃、実感を持って繰り返し聴いたり歌ったりしたので、愛着があります。

1)父親は
・父の歌シリーズ中でも、最も胸を打たれた1曲です。「死にたいと思う時があった 君を道連れにして 私は死にたいと思う時があった 何故なのかその訳も知らずに」と穏当でない出だしから「父親はそれほど愚かでそれほど混乱し それほど我が儘でそれほど弱い 私が強くなれるのは幼い君が私を信じきってるからなのだ 君が私をいつも大声で 大声で呼ぶからなのだ」と結ばれます。私自身、父になっても弱くて惑っていて良いのだ、と言い聞かせながら歌ったものでした。

2)子どもは駈ける
・「もう忘れてしまった 口のまわりにご飯粒をくっつけた君 拳闘選手みたいに手を前へ突き出して 初めて歩きはじめた君」という歌い出しからして、確かに懐かしく、思わず涙が滲みそうです。「君は日々に新しく 君は明日を考えずに 私よりも一歩先に明日に踏み込む」「きまって私の先を駈けてゆく その後ろ姿が四つになった君のイメージ」。うーん、10年後の息子は全く相手をしてくれなくなったというに。

3)どれだけ遠く
・恋人ないし妻ないし愛人との別れを、品良くしかも簡潔に歌うとこうなると言う見本のような1曲。「なんでもないのと微笑みながらも目をそらす君を見たくない 嘘ならいくらでもついていいんだよ 君からどれだけ遠く離れたら もう一度愛せるのだろう」。谷川さんの実話なのでしょうか?詩人もつらいですね。

 

4.デッドヒート'74年ライブ('74年作品)
・今回のベルウッドのBOX化で何が嬉しかったと言って、このアルバムの初CD化は快挙でしょう。しつこくLPは保有し続けていながらプレイヤーを失って久しい私にとっては、涙モノの再発であります。うーん、耳の奥に、心の奥底に大切に眠らせていた魂の記憶が、今蘇ります。・そうした思い入れは兎も角、本盤は、「出発の歌」や紋次郎ブーム(「誰かが風の中で」)を受けた人気面も含めフォーク絶頂期の演奏を収めた初期のベスト盤的選曲(「雨が空から降れば」「私は月にはいかないだろう」「無題」収録)も含め、真に推薦に足る名作で、その意外なロックスピリットも含め、再評価の声が高いようです。

1)12階建てのバス
・この曲の素晴らしさを誰よりも評価しているつもりの私としては、小室等BOXに和久井さんが「音楽で良識を伝える人、とのイメージが強くロックから遠いと思われがちだが、この曲に刻まれた狂気はその印象を覆すはず」と書かれており、我が意を得たり、です。「どこからやってくるのだろう 約束のようにバスがやってくる 12階建てのバスが バスがやってくる」の合間に彼女との出逢いと別離が描き込まれたこの作品は、木田高介の編曲や演奏の見事さも含め、興奮させられます。

2)フライング
・後にも先にもここでしか聴けない作品のような気がします・・が、アジアンイメージの旅の世界に託して、「人の命の哀しさ」や「白く続く道の涯て」を知る人間の成長を描いている感じでしょうか。「山脈はるか高原のかなた ひとり旅するところ 古はるか潮騒のかなた 幻の奇しき都」と繰り返されるフォークロック的演奏が、爽快です。

3)かげろうの唄
・木枯し紋次郎「だれかが風の中で」に続き、市川昆監督作品のTV時代劇「丹下左膳」テーマソングとして和田夏十(昆夫人)さんの詩に曲を付け歌っています。「もしも空のように もしも水のように 土のように そんな自分だけのものがないなら 一日のうちに生まれて死んでいく かげろうに生まれ変わりたい」と、壮絶なまでに「自分だけのもの」=アイデンティティにこだわる主張を表現しているようです。

 

5.「会い」I am a・・・('86年作品)
・フォーライフレコードの社長を引退して久しい80年代、ともすれば年を感じさせ、一頃の精気が無くなったかに見えた小室さんに、二代目社長の吉田拓郎氏が奮起を促し、自らプロデュースした作品です。拓郎らしい覇気溢るるポップスが小室ワールドと見事に友情融合し、充実した作品に仕上がりました。最後の曲はズバリ「まだ負けるわけにはいかない」です。

1)バードマン
・冒頭から、絶妙のポエトリーリーディングとロックミュージックの融合、ぐいぐいと引き込まれる曲です。「これ以上悪くはならないでしょう ふさぎの虫は虫食い鳥にまかせて」「食べて寝てこそまた明日がある お助け鳥 九官鳥 はるばる参上」。と、疲れた現代社会の中にあって、明日を逞しく生き抜く勇気をもらえそうです。「がんばりなさーい 元気を出せー くよくよするな 下手な考え休まーずに」。

2)六月の雨の中で
・典型的なフォークロック調のバンド演奏が心地良いバランスの取れた1曲です。軽快な中にも、しかし歌のテーマは重さを漂わせています。「今日の思いを昨日に閉じ込め 明日の君に話しかける愚かさ」「誰か返事をしてくれ 寒い8月の下は空っぽで もう誰の声も聞こえない」・・「恋人よ返事をしてくれ」小室さんにとっての80年代は、納得が行かずいらつくことが多い、愛の不毛地帯に見えたのではないでしょうか。

3)空の下の海
・なんだか不思議な歌の世界。「思い思いとはこのことだろうか 海底に黒々とナマコたちがいるよ」で始まり「ポーランド生まれのその画家の 絵筆の先は森になっている」といったイメージが次々に展開されます。作詞は友部正人=なるほどの作品で、彼も同時期のアルバム「六月の雨の夜、チルチルミチルは」に収めています。それにしても、フォーク界広しといえども'拓郎から友部まで’の交友関係は小室さんならでは、を象徴する(友部作詞、拓郎編曲)1曲です。

<番外>
6.六文銭メモリアル('72年作品)
・六文銭も、別枠で5枚紹介したいくらいの大きな存在ですが、なにせ公式アルバムが2~3枚しかない!こともあり、番外として付け足し対応で失礼します。
・六文銭のポップスセンスは、グループとして長く続けば(初期の石川鷹彦時代から通算すれば十分長い訳ですが)その価値に見合った高い評価が伴ったのでしょうが、上條恒彦さんと組んだ「出発の歌」のヒットだけが先行してしまい、確固たるオリジナリティ・イメージが形成されなかったのは不幸なことでした。
・余談を加えれば、吉田拓郎がリードして新六文銭を結成したものの、直後に「金沢冤罪事件」で収監されてしまい、結局満足な活動(アルバム制作等)に至らなかったのも不遇でした。
・私は、唯一のスタジオ公式録音アルバムである「キングサーモンのいる島」よりも、解散記念公開録音である「六文銭メモリアル」の方が好きです。別役実の「スパイ物語」の劇中歌を中心に、どれもご紹介したくなるような彩り豊かな歌たちが数多く並んでいます。

1)思い出してはいけない
・拍手が徐々に盛り上がる中、ギターが勢い良く奏でられる出だしから格好良く、「ぼくはどうにも自分の名前が思い出せないのだった・・」との歌い出しが衝撃的で、「君を見た時から始まった 僕の孤独に世界は激しく 破片ばかりを投げ込もうとしていた」とつながり「君もどうやら自分の名前が思い出せないのだ」と結ばれる70年代風ラブソングには、スポッと嵌りました。

2)長い歌
・珍しく原茂が自分の曲を歌ったバラードで、洋楽っぽいと言えば良いのでしょうか。「長い季節が不意に去って もうしばらくは 一人出歩いてみよう」「熱い心で過ごした日々も 僕の人生のたったひとこま」といった成熟感のある失恋歌を素敵なメロディで奏でます。この後、ビートルズの「In My Life」に繋がる流れも自然で、心に沁みます。

3)街と飛行船
・激しさ、悲しさ、怒り等々を溜め込んで一気に爆発させるような劇的な歌です。「空には飛行船 地上にはお祭り」がサビで、その間に挟まれた「まま子もみなし児も涙で汚れた顔に 幸せのお面をつけて笑おう」「リュウマチも小児マヒも 曲がった添え木に リボンで飾りを付けて走ろう」といった優れた歌詞が、しかし、今は伏せ字、**音でしか発売されていないのが誠に残念です。

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 小室等ファン、ないし、正統派日本フォークファンの方々からは、ファーストアルバムにして不朽の名盤とされる実験作「私は月には行かないだろう」とかフォーライフレコードの理念や品格の一端を代表した名作「いま生きているということ」が何故入っていないのか、あるいは六文銭なら、公式アルバム「キングサーモンのいる島」だろうが、と御叱りを浴びそうです。
 また、ベスト盤的な貴重地域活動記録としては「23区コンサート~東京旅行」なども重要作と言えましょう。

 それもそうだ、と十分に聴き込んだうえで、歴史的価値を兎も角とすれば、今回セレクトした作品群の水準は恐るべく高いと信じます。「NHKの解説者的存在ではなく、現役アーティストとして再評価すべし」、ということだと思います。せめて生きてるうちに<笑>。今度は「コムロヒトシ的」と言う映画。如何でしょうか?
―― ああ、でもきっと、私たちは、いつか小室等や高田渡の死亡記事を目にする日が来るのでしょうね・・<しんみり>。

 次回は、書こうと思ってから久しくさすがに順番待ち「ええ加減にせんか!」と殴りこまれそうな、日本パンク・リアル・フォークの雄にして、ストリートロック詩人でもあられる=泉谷しげる、かな、と思います。

<04年6月記>