海援隊編

 人物編19回目は博多が生んだ輝く日本の星「海援隊」です。泉谷しげる編にもある通り「武田鉄矢=個性派タレント」在籍というだけのイメージがついて回る海援隊であるが、その実は熱っぽく人間臭いフォーク集団である。(そして泉谷は海援隊を東京にひっぱってきた張本人である。)
 海援隊の歌からは旅・夜汽車・失恋のにおいが強烈に漂ってくる。 曲作りでは作詞を武田鉄矢、作曲を千葉和臣と中牟田俊男が担当する。演奏面では3人がボーカルをとり千葉がリードギター、中牟田がサイドでバッキングを担当。それぞれが違うキャラクターの声質の持つ。
 龍馬が没した33歳の年に一度解散するも、93年の再結成から再び船をこぎ始め未だ現役。ゴキブリから国民的先生まで演じこなす、楽器の出来ないフォークシンガーの世界はまさに唯一無二である。

1. 一場春夢('80年作品)
 ベスト1はやや反則気味かもしれないがスタジオ録音盤ではなくこのライブ盤。金八・贈る言葉大ヒット直後であり人気と本人たちのノリ具合は最高。バックバンドも素晴らしく仕上がっており随所に光るアレンジが聴かれる。そして曲の終わりに挟まれる武田鉄矢のMCが抜群に冴えている。スタジオ録音よりもライブ盤でこそ海援隊の魅力が存分に味わえることだろう。下記に取り上げた曲のほか代表曲「母に捧げるバラード」「贈る言葉」「思えば遠くへ来たもんだ」や「あんたが大将」~「JODAN JODAN」のメドレーなど聴きどころ満載。

1)人生へのメッセージ
 アンコールのラストに歌われた。スタジオアルバム版に大幅に歌詞が加えられおり、会場全体が一体となっていく空気感がひしひしと伝わってくる垂涎の一曲。直前のMC「今から長い歌を歌います。もしあなたの心に歌詞がちょっとでも触れたらどうぞ立ち上がってください。"僕"は"あなた方"に歌いかけるのがとっても下手なんです。でも"僕たち"は"あなた"に歌うのはとっても燃えて出来んるです。」そして繰り返し歌う『僕は若くて何も知らず確かに愚かだけれど だけど僕の人生は今始まったばかり』

2)風景詩
 ギター中牟田俊男のボーカル曲。情景がすんなり浮かんでくる描写とどこか哲学的な武田の詩に中牟田のつける静かでありながらも強い意志を感じる曲がいい。疲れた心にすっと染み入る名曲。

3)二流の人
 海援隊得意の歴史もの。小説「二流の人(坂口安吾著)」の影響を受けており、一流の腕前でありながら天下統一できなかった自分を二流と卑下する黒田官兵衛を見事に歌いあげている。琵琶の音が官兵衛の激情・無念に色を添える。

2. 去華就実~花散りて次に葉茂り実をむすぶ~('14年作品)
 「爺さんになったんだから爺さんの歌を歌わなければならない」2000年代後半からそういい続けてきたがついに13年ぶりのオリジナルアルバムが完成。ベース、パーカッションと最低限のサポートのみでほぼ海援隊3人のみの演奏という原点回帰的試みも。「エイジングソング」というタイトルにしたかったがスタッフから没をくらう。それほど「老い」を意識したものに仕上がっており、2015年現在最新作にして間違いなくオリジナルアルバム最高傑作である。

1)冬じたく
 「人は生きねばならぬ/老いねばならぬ/降りればならぬ」と人生の折り返しを過ぎた人たちへ向けどう生きるかを問いかける。人生を山に例え「山に登ったというということは登って降りたことを「登った」といいます。登って降りて来られないことは「遭難」というんですね。」と武田は言う。近年映画、著書を通して発信し続けた思いが込められている。

2)フォークソング
 3人でボーカルをとる。「まだ唇に歌があります」「僕らの歌は僕たちよりも旅するうちに強くなりました」「歌に託した思いは一つ それは三人で決めた事です」ストレートな曲名。歌の始まり、そしてこれからもう歌い続けるという決意の歌。まだまだ海援隊の航海は終わらない。

3)そうだ病院へ行こう
 コミックソングがただの面白いだけの歌で終わらないのが海援隊のなせる業である。武田自身の心臓病入院体験から生まれたこの曲。ラップを取り入れる新しい挑戦も。「たったひとりで健康よりもみんなで少し病気の方が人に優しくされるしできる」と結ぶ。

 

3. 海援隊ライブ・アンコール1・2~廻り舞台('02年作品)
 ふたたびライブ盤。どうしてもベスト盤的選曲になっているので反則といえば反則なのだが、海援隊の場合トークも含めて熟考の末に敢えて選出しているということでご理解いただきたい。贈る言葉でヒットする前のライブが聴けるのはこの作品のみ。母バラ以降ヒットがない中でありながらも抜群のトークと佳曲は健在。熱唱する曲、感極まるシーンなど武田鉄矢の人間臭さがぐっと詰まった作品。尚、この作品は「廻り舞台篇~海援隊ライヴ序~('76)」「海援隊ライヴ・アンコール 1,2/廻り舞台('80)」を結成30周年の際に再編集し再販されたもの。内容は全て1976年ライブ音源である。 

1)心の河
 「どんな人間の心にも一本の河が流れていると思うんです」と歌い出す。どこかさびしく、しかし生きていかなければならない、そんな心象風景が浮かんでくる。「ああ 雲は風に送られて僕は季節に送られて 確かにどこかへ急いでゆく」

2)そんぐ・ふぉお・ゆう
 作詞:江口晶、補作詞:武田鉄矢。3人がメインボーカルをとるのはこの曲が初めてではないだろうか。静かで優しい歌である。近年TV出演の際に意地の一曲を歌うコーナーでこの歌を歌っていたのが印象深い。

3)故郷未だ忘れ難く
 上京後の辛い日々に故郷を思う望郷の歌。昔の女(ひと)から届いた手紙に俺のことは忘れておくれと呟いても、親父に殴られた痛みは忘れても故郷・博多は忘れない。これは決して耐えがたき日々に弱音を吐く歌ではなく、これからも東京で歌と暮らしていく決意の歌に聞こえる。

 

4.望郷篇('73年作品)
 海援隊の名を世に知らしめることになった「母に捧げるバラード」を収録したセカンドアルバム。母バラは先にアルバムで発売されてからのシングルカットである。以降、歌に"語り"を取り入れるスタイルは海援隊の十八番となる。尚、「あの唄で武田はしゃべっておりません。歌っておるんです。ただメロディがない唄なんです。ステージに立っている武田を見てください。横に立つ僕にはわかります。武田の顔は歌っている顔です。」とは中牟田談。(長い引用であるが海援隊の唄を解釈するには重要であるためご容赦。)このLPが売れなければ故郷へ帰される予定であった。先に取り上げた「故郷未だ忘れ難く」も収録された名盤。

1)ななし草の唄
 自分たちはななし草。だけどひとからもらった舞台の上で歯の浮くような歌い手にはならないよ。こんな世間とわかっちゃいるが負けて帰るんにゃ早すぎる。どうしても売れなければならない状況下にある3人が、他人に悔しさ羨ましさを滲ませながらも何くそ根性を歌いあげる。

2)隣り町のしのぶちゃん
 武田は福岡教育大学時代に聾唖学校で教育実習をしている。しのぶちゃんとはその時の生徒である。ヘンテコな歌詞であるが最後に「生まれつき耳の聞こえないしのぶちゃんなのです」とくると一気に歌が違って見える。金八先生よりもずっと前に武田先生であった頃のおはなし。

3)僕の部屋から
 ギター千葉和臣のボーカル曲。失恋の唄が多い中で珍しい上手くいっている恋唄。素朴であるがきれいなメロディラインで自然と情景が浮かんでくる。伸びやかなボーカルがよく合う。2005年にドラマ化されている。

 

5.だからひとりになる('82年作品)
 デビューアルバム「海援隊がゆく」が発売された1972.10.25からちょうど10年後の1982.10.25にリリースされた。タイトルの通り解散を控えてジャケットもそれを意識したものになっている。アルバムとしての統一感はあまりなく、それぞれのソロ曲を持ち寄ったような雰囲気がある。一曲目に千葉のインストゥルメンタルが置かれ、中牟田・千葉それぞれのボーカル曲は自身が作詞している異色作。今回5枚目を選ぶのには難航したが敢えてをこちら取り上げそれぞれがボーカルをとる曲を紹介する。

1)遥かなる人
 武田鉄矢ボーカル曲。幕末青春グラフィティ 坂本竜馬の主題歌。遥かなる人=坂本竜馬であることは言わずもがな。解散前の海援隊ラストシングル曲でもある。「旅行く者達が美しく見えるのは もっと遠くを目指しているからだ 立っているより歩いてみることだ 遥かなる人の声が僕に届く」

2)サーフサイド サンセット
 作詞・作曲・ボーカルは千葉和臣。夏を思わせるさわやかなギターサウンドが心地いい。およそ海援隊が持つ雰囲気とはかけ離れているが編曲も担当している千葉のセンスが随所に光る。

3)路上にて
 作詞・作曲・ボーカルは中牟田俊男。バンドサウンドによる骨太ロック。本作には収録されていないが同時期に製作されたと思われる同じく中牟田作詞作曲の「涙がらがら」も名曲。必聴。


あとがき
はじめまして。ちゃんこなべと申します。
この度は私が寄稿した海援隊評をここまで読んでいただきありがとうございました。

中学生のころフォークソングにはまりましたが、周りで聴いている人はだれもおらずたどり着いたのがここ「日本のフォークソング」でした。あれから10年経ちこれまでフォークを聴き続けてこられたのはこのサイトのおかげです。

2014年8月、T's Selectionに海援隊をリクエストしたところ私に執筆の機会をいただき、あれから一年以上もかかってしまいました。
諸先輩方に比べてフォーク歴は浅く、正直自分の独断と偏見で記事を書くのはかなりの不安であり、執筆中は頭を悩ませました。生意気なこの批評文を読んで私に対する批判もあることと思います。しかしそのような議論のきっかけにもなればよいと思い、ひと先ずこのような結果となりました。何かありましたら掲示板に書き込んでいただけると嬉しいです。

原稿中は敬称略させていただきました。

最後にTさん、管理人またにさんへ、このような機会をいただいたこと、このサイトを作り更新し続けてくださっていることに心から感謝申し上げます。


2015.9.13

ちゃんこなべ