本郷壱岐坂


 本郷壱岐坂をふうふういいながら上りきって、2丁目のほうへやって来た。
昔修学旅行生で賑わったという旅館街も空き地が増えて、どこも寒々している。学生時代はこの町でバイトしていたから、知り合いだらけだったもんだ。

 「大横丁」。口にすると甘酸っぱい思いがこみ上げてくる。「洋食の店サカエ」のエビフライは特大だったな。一流ホテルに勤めていたというお爺さんが、こう、肘を立てて、背筋をしゃんと伸ばして、フライパンを巧みに操る。でも、店はいつもがらがらだ。あのウエスタンぽい、背後にひらひら動いている、キイキイと音のする入口扉が懐かしい。「長い間皆様に親しまれてきたこの店もー」の張り紙を見た日からずっと鬱だったな。
 でも、爺さんに何にも言えなかった。ああ、大横丁の祭囃子の音が脳裏に聞こえてきたよ。信用金庫の半纏に腕を通して、かわいらしい神輿のあとを追ってただ歩いていたな。お昼は居酒屋「こすぎ」の店長にご馳走になった。「そんなに飲めませんよ」と言う僕の声ににやっと笑って店長は雪中梅の一升瓶をどくどく丼に注いでくれた。小さなサラブレッドのお土産を、大事に店に飾ってくれたね。

 「ご苦労さん」の声が飛び交う打ち上げの夜。場所は妖気漂う駅前の「本郷茶楼」だった。外観も中も真っ暗な店だった。喫茶「すず」のバイトで音大生のみほちゃんが、中島みゆきをアカペラで唄ってくれた。「マワルマワルヨジダイハマワル」うまいなー。涙をうかべた奴もいたね。祭の後はいつだって寂しい。僕も。社長や「こすぎ」の店長や、みほちゃんや、色んな人の絆を断って、僕は安定した高校教師の職に就こうとした。何て奴なんだ。社長はいつも僕を大事にしてくれて、毎晩あちこちに連れて行ってくれた。楽しかったな。魔がさしたんだろうな。おいおい泣きながらしがみつくみほちゃんを残して僕は走って逃げた。何であんな恩知らずになってしまったんだろう。

小さな出版社も、こすぎもすずも、あの後次々と消えてしまった。消えてしまった。消えてしまった…。

 

 残酷な歌を聴かされて君と最後の食事 
 テーブルには紫色の花がいっぱい咲きこぼれていた
 全力で愛さなかったから君を見失ってしまった
 生きていくのが 恥ずかしくなるほど
 思いっきりふられて 打ちのめされる
   バイバイ グッバイ バイバイ グッバイ バイバイ

 どうしてもなじめないものがあって 好きなところだけ愛してた
 何か得体の知れないものが 始終僕を襲っていた
 すべてを愛せなかったから 都合よく愛していただけ
 天国から地獄まで 真っ逆さまに突き落とされ
 みごとに捨てられ 君を失う
   バイバイ グッバイ バイバイ グッバイ
   バイバイ グッバイ バイバイ

 突然狂い出しては君を泣かせ 何度も飛び出してはドアをたたき
 心が離れていかないから 別れることもできなかった
 それでも君はうまくいくよと 好き同士ならうまくいくよって
 どこまでも優しく どこまでも強く
 燃え尽きていくのを じいっと待っていた

 いつも いつも 君だけを 思ってた
   バイバイ グッバイ バイバイ グッバイ
   バイバイ グッバイ バイバイ