岡林信康編

1回はベスト選でもトップを飾っていた日本フォーク界の最重要人物、フォークの神様と言われた岡林信康です。
この人の良さは、生き様が歌に直結しており、声にその時々の弱さ・脆さが透けてみえる自然さでしょう。

1.ラブソングス('77年作品)

 ベスト1はこの1枚。地味なアルバムで、発売された頃は後述のアルバムよりも良いとは思わなかったが、しみじみと味わい深く、正に日本フォークの至宝、真髄と言えよう。<うつし絵>という演歌アルバムの後で、久しぶりに本来のフォークに戻ったと言われ、1曲目の「Mr.Oのバラッド」で自らの半生を振返り「一人の弱い当たり前、錆びたギターを磨き出す」との決意表明を行っているほか、母親の死と子供たちの成長を夜空に託して歌ったりと、私小説的ながら研ぎ澄まされた世界が展開されている。様々なスタイルの曲が調和し、穴の見当たらない名盤。

1)ラブソング
・このタイトルの曲は世に数多いが、ここで歌われる愛は幾百のラブソングとは違い、奥深いというか複雑で悩ましい。「とても駄目な時がある」「ぐずぐずしていたい」「やってゆくのはとても難しい」と夏目漱石的?神経症の世界がじっくりテンポで歌われる。悩みや挫折のない人には岡林の中期作品は分からないかもしれない。先のベスト選では7分以上の大曲ということもあって惜しくも割愛した。

2)みのり
・長女のみのりちゃんを胸に抱きながら夜空の月や星を見上げる信康。産まれたばかりの大介君とお母さんは家の中で眠っている。岡林のお母さんは丁度1年前に大介君に出会えないまま(入れ替わるように)遠くへ旅立った。人生の輪廻を美しく歌った心に沁み入る名曲(中川イサトのギターも絶品)。岡林の歌には家族が登場することも多く、ファンは自ずとその成長を知ることになる(が、それは普遍的な高みにある)。因みにみのりちゃんはダンサーに、大介君はボクサーになったという話(数年前情報)を聞いた。

3)カボチャ音頭
・最初に聴いた時には、「トクジ、ミスズ」のおふざけモードでちょっと付いていけない気がした。が、「去年と今年じゃ日和も違う」、「わたしゃ生身の人間だから物差し通りにゃ動けません」という究極の格言を含むロック&音頭!仕立て(宇崎竜童とDTブギブギバンド)の、実はナンセンスに非ずの1曲。妻になじられるとこのフレーズを返すことにしている(余計怒りを買うが・・)。すぐ後の「男30のブルースよ」も捨て難い。

2.金色のライオン('73年作品)

 岡林が政治運動やフォークの神様としての存在に耐え切れず逃避した後の、いわば復帰第1作にして、比喩と暗示に富んだ名作。松本隆プロデユースで、演奏もシンプルにして力強いフォーク・ロック作品(ボブ・ディランをかなり意識)となっている。一般的にはこの辺りから人気は下降の一途を辿るが、ここからが本当に豊かな収穫の時なのである。

1)26ばんめの秋
・シンプルだが馴染みやすいメロディに乗せて、すすきに代表される秋の自然の中にサンドウィッチされる格好で、おばあちゃんの病(死)と姪子の成長(生)自身の存在の不可思議さ(アイデンティティ)が淡々と歌われる。26歳にしてこの作品普遍の美しさは人間業ではないような気までする。

2)金色のライオン
・金色のライオンとは何なのか。金歯の尼さんが森の女王様だったり、渡り鳥の命だったりで、ボブディラン的イメージの世界が展開されるが、きっと農耕生活の中で岡林がしがみついたタテガミは、秋の実り=黄金の稲穂のような気がする。そして岡林自身が金色のライオンでもある訳だ(?)。

3)あの娘と遠くまで
・悩ましい日々は、自然の暮らしの中で溶けてゆき、「あるべき姿で草は茂り、雨を待っている空に背伸びする」ようにあの娘と遠くまで出かけようという歌だが、ここであの娘とは何でしょうというのが、やはり解るような分からないような、ホントは深いが明るい歌である。

3.街はステキなカーニバル('79年)

 音楽スタイルが変遷する岡林の履歴の中でも、最もオーソドックスで一般受けするフォーク・ロック作品として、安心の1作。特に下記1)2)の2作品を含むところが、永遠の価値を生み出している。

1)山辺に向かいて
・ベスト選Ⅰで中期の他の数々の名曲を押しのけて採用した傑作。新緑から紅葉、雪に覆われる山、雪が川に落ち海へ注ぎ、白い雲へと「めぐる生命の音」を歌って「いろんな顔を見せてよまだ見ぬ俺の」「たやすく決めつけないさ自分のことを」と、田舎の村での自然の中で(神様と期待された)自らの怯えやこだわりを脱却し新たな可能性を悟って行く姿を見事に表現している。

2)君に捧げるラブ・ソング
・愛を歌って一流の詩と曲が、岡林の美しく繊細な声に良くマッチして、誰が聴いても納得のラブソングとなっている。ただ(それだけで良いのかもしれないが)、この曲が岡林を撮影し続けたカメラマン川仁忍が難病に倒れ死にゆく姿に向かって歌われれたものであることを知ってしまうと、その思いはさらに深く重く究極のラブソングとならざるを得ない。

3)Good-bye My Darling
・岡林らしくはないが、CMにも使われた綺麗でまともな?フォークロックとして、もう一度こういう世界に(エンヤットットから)帰ってきて欲しいと思う人も多いのではないだろうか。

4.見える前に跳べ('70年作品)

 タイトルといい、ジャケットといい、いろんな意味でシンボリックな岡林初期の代表作であり、一般的にはファーストアルバム「私を断罪せよ」(これも思えば凄まじいタイトル)とこの辺りが名作とされることが多い(「友よ」「山谷ブルース」の時代)。確かに歴史的にはそうであり、完成度も二十歳そこそこにして信じ難いほどに高い。このセカンドは 「はっぴいえんど」をバックにロックに転向したことで有名。ラブジェネレーションなど早川作品を絶唱する姿が聴けるが、以下自作を選定(CDでは浜口氏を「どうでもいいくせに作り上げるな」と茶化した「ロールオーバー庫之助」がカットされたのが残念)。

1)自由への長い旅
・美しい詩と曲の中にフォークの追求するテーマが鮮やかに表現されており、「私がもう一度私になるために」「信じたいために疑い続ける」自由への長い旅は終わることがない。

2)私たちの望むものは
・長い繰り返しの中で、私たちの望むものが「あなたと生きること」から「あなたを殺すこと」に変わって行くところや催涙弾発射~ヘリコプターの爆音が怖い。カラオケで歌うこともできるが、どうするか考えてしまう大曲。

3)今日をこえて
・シンプルだが力強く、「あんたにゃ分かるまい、今日を越えて明日を生きることなんか」と歌うと元気が出る歌。ファーストアルバムの「私を断罪せよ」にも収録。愛唱歌に好適。

5.ベア・ナックル・ミュージック('90年作品)
 '80年代を通じる10年近い長い試行錯誤と停滞の後、「日本人本来のロックンロール」と称するエンヤトットに転向した第1作(涙ぐましい自主制作カセットテープを除く)。エンヤトット自体は次作の「信康」や最新作の「風詩」などの方が完成度が高いのかもしれないが、この作品は後半が旧作の弾き語りに近い再演で、いわばベストアルバムになっているところを含め貴重である。

1)ペンノレ
・ベスト選Ⅰにも採用したエンヤトット第1作は、韓国民謡に詩をつけサムヌノリと共演したものだが、気迫がこもっており、いずれWカップサッカーないし日韓合同紅白歌合戦で聴くのが相応しい名曲(パルコのCMで流れてきた時は驚いた)。

2)'84冬
・有り難い弾き語りの新作で、今度は、神父だった父親の死(手術、入院)を自分の子供との関係に重ねて「白いシーツが78年の旅の重さを包んでいるのか」「あんたは赤ん坊に戻って眠り俺は2人の父親に」と歌っている。リアルで重い、涙の1曲である。

3)ミッドナイトトレイン
・やや反則かもしれないが、岡林全作品中最も悪評高く、未だCD化されないピンクレディ調歌謡ポップアルバム<セレナーデ>からの再演作品。「明日は遠すぎて昨日は重過ぎる」何も見えない今日を夜汽車に託して、しかし明るく歌った良品。

 なお、今回紹介した5作品はいずれも頑張れば入手可能(と思う)。

 さて、次回は、吉田拓郎である。これはまた(作品量が膨大で)大変だ・・!。
人気No.1の高田渡や加川良はしばし待たれたい(乞うご期待?)。