友部正人編

第3回は、孤高の詩人、日本のボブディランと呼ばれて久しい友部正人です。他の追随を許さない詩のレベルの高さとざらついた声の質感は特筆ものでしょう。それにしても、友部正人が50歳過ぎまで生きているなんて想像できたでしょうか?吉田拓郎が「明るい日常」をテーマにしたアルバム(こんにちは)を作ることはあっても、友部がじゃらんに連載し温泉につかる時代が来ることは、あの70年代前半悩み多き高校生だった私には夢想だに出来ませんでした。 自分の身代わりに命を削っても真髄を追求してくれるアーティストとして、80年代に東京で見た時にも怖くて近寄れませんでした。最近では間近にすれ違っても違和感なく、はまたにさんなんか地下鉄の中で話までする時代です。 そんな訳で、一頃のパワーは失せて来たという見方もありますが、我が道を行く若さ、カッコ良さは今でも超一級のフォーク(ロック)シンガーです。―― 今夜はちょうど近所のお店で「リクエスト大会」をやっています。全くの偶然ですが私も一人リクエスト小会という趣向です(行けばよかったなあ)。

 

1.どうして旅に出なかったんだ('76年作品)・・再発時タイトル「1976」
・ベスト1はやっぱ分岐点となったこの1枚。それまでの詩の朗読調弾き語りから、「ザ・バンド」的編成のフォークロックに進化し(これを退化と見るかどうかで評価が分かれるが、当時は買う価値が付いたプロ作品と思ったのがお恥ずかしい)音楽性も兼ね備えた無敵のアルバム。名曲揃いながら、不幸な事に最高傑作の「びっこ・・」の用語により発売直後に回収(その前に買った1枚が今も我が家宝)されてしまい、現在は一部再録のCD「1976」としてしか入手できない。(拓郎同様)こんなことがあって良いのだろうか!

1)びっこのポーの最期
・この作品は、本当に日本フォーク・ロックの最高傑作。元々ボブディランの「ライクアローリングストーン」に触発された友部が、それに比肩する曲を神から与えられたといった感じか。「ブルックリン生まれの若親分も今じゃ女たちの足を洗う汚いボロバケツさ」「あんたはただベッドのうえで濡れたピストルを手でこすっているだけさ」。あらゆる解釈は拒絶されているが、人生とはからっぽか。こういう寝ている人を叩き起こす(刺し殺す)攻撃的な歌があって良い。

2)どうして旅に出なかったんだ
・「どうして旅に出なかったんだ、ぼうや」。こう言われるととても弱い。田舎の大学時代、数日に1回まだ日が高いうちに銭湯へ行っていた。まさに「お前ときたら昼の日中から町の銭湯で、何度も何度も自分のからだばかり洗っていたよ」と自分の駄目さを見抜かれている気がした。挫折の中、歌で生(行)き方を教わることは確かにある。そういう意味で私にとって特別な曲。

3)フーテンのノリ
・友部作品としては珍しく明るく軽快なトーンで、もしかすると、歌詞の中にある通りちょっとラリっているような気さえする。正しく「うたうってことは軽くなることさ」と唄ってくれているではないか。地軸を傾けたり空に棒っ切れを突っ込んでやることも、友部にしか出来ないだろう。・このほか「はじめぼくはひとりだった」「ユミは寝ているよ」も名作。

 

2.また見つけたよ('73年作品)
・ベスト1はこちらかと大いに悩んだ1枚。何と言っても友部の本質はギターとハモニカと肉声のみの独演にあるのではないかとの立場からは、これが1番の、全曲を推薦したい名盤。ただし、これまた遺憾ながら「なんてすっぱい雨だ」の中に差別用語「黒ン坊さん」があるという理由で発売禁止となって久しく、現在は入手不可能。同様の事情にある次回75年作の「誰もぼくの絵を描けないだろう」とカップリングしたアルバム「ベストセレクション」の存在が、若人にはせめてもの救いと言うものか。・CD選書(1500円)のこのベストアルバムこそが現在国内で売られている全CD中最もコストパフォーマンスの高い1枚と言って間違いなかろうと思います(絶対に買い)。

1)反復
・この歌は衝撃的だった。先ず歌い始めに咳き込んだものが公式なレコードになるということが信じ難かった。次に「この僕を精一杯好きになっておくれ。そして今度の夏がきたらさっさと忘れておくれ」というラブソングがあって良いのかと思った。さらには「お尻の隙間でひらひら揺れてるどす黒い***」なんて歌詞が(今でも)発売禁止にならないことが不可思議だった。ま、いずれにしても凄いラブソング。

2)公園のD51
・別に曲順に選んだわけではないが、友部のスケール観の大きさが如実に表れた沖縄発詩的ワールドミュージック。「もともと歯並びは悪かったんだ。めしを食えばくちゃくちゃ音がしてさ」と意表をつき、「ひび割れて行くことだけがやさしさだったんだ」「水の考え方だけが息づいていた」との展開に付いて行くのが当時はしんどかった。

3)あれは忘れ物
・石の上にも3年。と言う訳でもないだろうが、どこか牧歌的なというか無国籍の匂いが漂う。「おまわりに追われた夜、留置場で泣き明かした朝」というところだけが妙にリアルな痛みを感じさせつつも、そうした全てを超越した悟りがここにはある。・このほか、より有名な「空が落ちてくる」「早いぞ早いぞ」「夕暮れ」もみんな良い。

3.にんじん('73年作品)
・通の間でも、これをベスト1に挙げる向きも多い名盤。突出した緊張感や唯一無二のヒリヒリ感はこれが最大値か(結果的にこの時期の作品がベスト4まで占めるのは、時代のなせる必然か)。敢えて代表曲とされる「一本道」は入れません。「中央線よ空を飛んであの娘の胸につきさされ」には確かにガツンとやられた口で稀代の名曲であることは疑問の余地なしながら、やや手垢がつきすぎたかな・・と(あまのじゃく)。

1)乾杯
・ちょっと正常な気分では聴ききれない超常現象のような傑作。連合赤軍浅間山荘事件をテーマに夜の新宿を歌う(というよりは語る)。「大阪へやってきた」や「トーキング自動車レースブルース」と同様のトーキングバラッド。「おーせつなやポポー。500円分の切符を下せえーっ!」との人間の声域を超えた叫びは覚悟なしには正対できまい(リクエスト大会でも唄われた模様)。

2)にんじん
・「ダーティハリーの唄うのは石の背中の重たさだ」で笑いながら始まり「唄うぼくは汚れた歯ぐきルームクーラーの湿った風をかじってる」なんて詩がどこから出てくるのか。やはり天賦の才能か。少なくともデマカセではできないよね。

3)君が欲しい
・「心やさしい月の輪熊が今夜もマイクにキスをする」ようななんだかロマンティックな雰囲気すら漂うラブソング。我が街(あの頃の友部の街)吉祥寺や井の頭公園を唄った歌でもある。・ほかに「長崎慕情」や「夢のカリフォルニア」なども捨て難い歌たちだ。

4.誰もぼくの絵を描けないだろう('75年作品)
・「また見つけたよ」と甲乙付け難い傑作であるが、これも幻の作品となってしまって久しい(友部オフィスには自主制作する権利がないのだろうか)。あの坂本龍一氏のピアノが殆ど唄うことを拒絶するかのような友部の後ろで見事に歌っている。

1)お日様がおっことしたものはコールタールの黒
・ハモニカとギターが心地良く響く(思えば坂本のピアノはない)中を、友部のポエトリーリーディングが快走する。「真夏の風に揺れてた洗濯物も消えた」まではサボテンの花調でも「君がいなくなってしまったんだ。空をロックンロールが占拠していた。太いうでが煙突をわしづかみしていた」辺りが真骨頂で「いつのまにか入れ替わっているストーブとぼく」は秀逸。

2)ぼくは海になんてなりたくない
・ボブディランのことを「ボブディランなんて知らない。知っているのは音楽好きの若いアメリカ人、ぼくはその若さだけ信じてた」とストレートに唄っていて好き。メロディは友部が傾倒するB.ディランやR.J.エリオットも古くに歌った「He Was a Friend of Mine」だと思う(高田渡流)。

3)誰もぼくの絵を描けないだろう
・あがた森魚のカバーも秀逸で、はまたにさんを友部ワールドに引きずり込んだらしき運命の歌。「ぼくは北国からやって来た。南国育ちの君の体に歯形をつけるため」「ぼくが渡った河やもぎ取った季節の名前を地図のように広げて君に見せてあげるよ」といった恋愛の深奥を孕みつつ、確かに誰にも彼の絵は描けないだろう。

5.読みかけの本('99年作品)
・最新作をここにノミネート。中期・後期の作品群は、いずれもレベルは高いが、どうしても70年代の痛々しいまでのヒリヒリ感には敵わないと判断。この作品は「月の光」「愛はぼくのとっておきの色」という全作品群の中でも友部の代表作であり続けるだろう名作を収録。少し明るくなった!友部が聴けるのも貴重で、70年代の上記作品群からいきなり飛んでくると眩暈がするかも。
・なお、80年代以降のアルバムでは、「遠い国の日時計」「奇跡の果実」も推薦。

1)月の光
・友部の歌を聴いて久しぶりに涙の出そうな感動を覚えた。あるいは喜納昌吉「花」同様泣いてしまったかもしれない。「ぼくたちはどこへでもしみ込んでゆく」「ぼくたちはどこででも土地になる」という斬新でいて深い切り口。「一人の人の手足じゃないぼくたちを。一人の人の顔じゃないぼくたちを」とのメッセージが強く遠くまで響く。

2)愛はぼくのとっておきの色
・華やかなブラスセッションでオープニングを飾るこの作品は、「ブルースを発車させようぜ。ぼくの時間はゴムになりぼくの目玉を打つだろう」と、とてもアグッレシブ。「愛はぼくのとっておきの色」というフレーズはジョンレノンの歌のように末永く心に刻まれるテーゼではなかろうか。

3)いろんな人生
・こういうある種脚本のような、整理されたドラマが書けるようになったことが友部の進歩でもあり退化でもあるのかもしれない。高い高い階段から男と女と少年の人生を見る物語。


*なお、友部のベストアルバムとして上記「ベストセレクション」のほか、「はじめぼくはひとりだった」(88年)「ぼくの展覧会」(93年)という総集編的なライブ作品があり、また、近年(97年)では「少年とライオン」(メジャー)「イタリアの月」(マイナー)という2枚同時のベストアルバムがいずれもお薦めである。

 さて、次回は泉谷か小室辺りだが、時期のお約束はなかなか難しい。取りあえず友部編のご意見・感想をお待ちしています(掲示板にて)。

<13年6月>