岡林信康50周年記念

公開リハーサルライブ参加レポート
 ――本番に行く方は、ネタバレあり:要注意

♪いろんな顔を見せてよ まだ見ぬ俺の たやすく決めつけないさ 自分のことを♪

 2018年7月25日の夜、吉祥寺STAR PINE’s CAFEへ「岡林信康デビュー50周年記念 公開リハーサルライブ」に行ってきた。岡林のライブに行くのは、数えてみたら15回目位か?吉田拓郎や高田渡よりも多いことは間違いない。
 
 ライブの内容に入る前に、先ずは、そういう熱心な信者となった経緯を復習しておきたい。
 
【岡林との出逢いと付き合い】
 歳がばれるが、私が物心付いた頃、と言っても高校に入った頃は、吉田拓郎・井上陽水・泉谷しげる(かぐや姫説もあるが)の時代で、岡林は既に「過去の人」だった。1971年の中津川フォークジャンボリ―で、吉田拓郎に政権交代済だったのである。
 
 大学に入って、ハイキング部で登山したキャンプファイアで、先輩達が作った歌本の「山谷ブルース」や「友よ」を肩組んで歌わされた際、一言で言えば「ダサいなあ」と感じた。
 
 レコード屋で「金色のライオン」の今にして思えばステキなジャケットのアルバムを何度か引き上げてはみたものの、すとんと落とした。
 
 明星の歌本では「誰ぞこの子に愛の手を」が新曲として載っていたが、岡林の辛い過去や諧謔・アイロニーを理解できない私には、「カンボジア難民とか、古いプロテストソングを歌ってるのかなあ?」という具合であった。
 
 なので、岡林を初めてまともに聴いたのは、恥ずかしながら名盤「ラブソングス」(1977年)だった。大学時代の下宿で、FMが殆どそのまま流してくれたのをエアチェックした。1曲目で自らの悩みの来歴を語り、「みのり」から「カボチャ音頭」に至る振れ幅と歌の深さに感銘を受けた。拓郎とは違うし、流石は中村とうようが満点を付けただけのことはある。このアルバムに出逢えたことは幸運だった。
 
 そこから、遡って、演歌⇒ロック⇒フォークへと、ファーストアルバムの「私を断罪せよ」に至るまでの神の軌跡を聴いたのである。ファーストから実はロックが混じっている訳<苦笑>だが、表面がフォークギターで裏面がエレキギターというアルバムジャケットの妙を含め、改めて音楽シーンにおける絶対的な意義深さを思い知った。
 
 以前の解説文で書いたが、私自身は、未だに「山谷ブルース」やプロテストソングが素晴らしいと思っている訳ではない。岡林の真骨頂は人間の本質的な弱さ・脆さを含め、その時々の生身の思いが自然と楽曲や歌唱(美声と繊細な歌い回し)に直結している点にある。
 
 音楽スタイルは変遷しても、「人生と歌が一致している」のだ。この点は、「フォークソング」においては決定的に重要な要素であり、だから岡林は「フォークの神様」なのである。
 
 さて、そんな岡林をライブで直接見たのは、就職で上京した日本青年館だった。時は遅く1987年。会場ではナント「エンヤトットでDancing」と言う名の自主製作カセットテープを売っていた。
 
 天下の岡林が、あまりの音楽的迷走ぶりから、ファンばかりでなくレコード会社からも見放され、学生じゃあるまいしお手製テープを作らざるを得ないという、実に憐れな状況を目の当たりにした訳である。
 
 そんな訳で、その後出向いた多くのライブは「エンヤトット」だった。船曳とか「何処?」って所にも行ったなあ。これは正直辛いものがあった。最後の方では、手拍子・掛け声だけでなく、立って踊らされるのである。神様が自らのたまう通り、それは新興宗教の集会に近く、チケット代はお布施とされた。
 
 この間、過去のアルバムの著作権を全部握って販売させなかったことも含め、客観的にみれば「低迷期」というか「消滅期」と言わざるを得ない時代が長く続いた。
 
 神様がようやくフォーク・ロックに戻って来てくれたのは、2008年、ディスクユニオンの若手Y氏の力によるところが大きく、初期からの全アルバムが一挙に復刻発売され、神様もエンヤトットだけに拘らなくなった。
 
 そして、私の前回のレポートでは「ロックコンサート 吉祥寺」と銘打ちながら、弾き語りばかりか美空ひばりまで歌ったので「話が違う」ということで、批判的なことを書いた次第である。
 
 前置きが長くなったが、やっと本題である今回のライブレポートに入る。

【公開リハーサルライブ】
 ――結論から書くと「これまでで1・2番の良さ」でした。名曲揃いで。
 ――神様が健在で良かった。話の面白さもフォーク界No.1と再確認。

 例によって、自宅から徒歩7分で会場へ。整理番号は10番。なので、今回は1階(実際は地下2階)の最前列で観るか、と目論んでいたら、1人で5席も取る輩が居て、2列目中央に。岡林まで約3m。かなりの好ポジションとは言える。

 定刻19時に、神様ギターを片手に登場。
1.「永遠の翼」 :ギターテク(左手)も見せる

・今最もチケットの取り易い歌手、岡林です。
・9月から全国ツアーに出るんだけど、その前にどこかテキトーな場所で練習しときたいと思い、こうなった。
・新しいギャグも、試してみたいと思う。
・公開リハーサルという訳の分からんライブになったが、今更ながら岡林の人気の高さに感心している(実際満杯の入り)。

・7月22日に72歳になりました。目出度いのかどうかは分からん。
・最近辛いのは、友人の訃報。加川良・遠藤賢司・はしだのりひこが亡くなった。
・当時、歌の旅を一緒しながら「1番先に死ぬのは岡林だ」と言われていた。
・酒を飲まないとステージに上がれず、大酒飲んでた。当時高田渡が「酒飲んで歌うなんてけしからん」と怒っていた。。。それが、、、人間は変わる。

・美空ひばりは、全3000曲の中から第4位に岡林の作品を選んでくれた。なんで1番じゃないんだ、と思ったが。。。
・エンケンも、クラシックを含むベスト10に次の曲を選んでくれていた。

2.「チューリップのアップリケ」
3.「流れ者」

・50年前からスタートして、まあまあそれなりに人気があり、レコードも売れた。毎月25本のライブをプロの歌手としてこなしていた。
・1年半位経った時、ボブ・ディランを知ってロックに興味を持ち、バンドと演りたいと思った。
・私の特徴は、「一つの考えに取り付かれると実行せずにはいられない」所にある。
・東京に出て「はっぴいえんど」と出会い、ツアーに出た。ところが、この評判が惨憺たるもので、多くのファンを失い、絶望的な気分になった。

・そこで、寒村に引き篭もり、人前に出ることが怖く、開店休業状態に陥った。
・讃美歌で育ったので、演歌のあのいやらしい曲調や歌い方には嫌悪を覚え、寒イボどころか吐き気をもよおしていた。
・それが何故か演歌を作るようになり、それを美空ひばりが評価し2曲も歌ってくれた。いわば、演歌の最高権威者からお墨付きを得た。

・これで、「フォーク・ロック・演歌」が全部歌える、いわば大谷翔平のような存在となった。
・しかし、ロックでファンの半分が去り、演歌で残りの殆どを失った。。。

・もうヤケクソになり、受けるかどうかは関係ない、との悟りを開いた。
・そこで、歌謡ポップス、テクノポップスを経て、エンヤトットに行き着いた。

・音楽スタイルを変える度に、ゴソッ、ゴソッっと離れて行った筈のファンが、まだこんなに生き残っていたとは奇跡であり、よくぞ見捨てずにいてくれた。
・フォークの弾き語りのまま続けていれば、今頃は紅白の常連歌手になっていたであろう。

・それでは、転落の第一歩となった、最初のロック作品を。

4.「今日をこえて」 :ここから数曲ピアノが付く
・これほどの拍手があの時あれば。。。

・歌謡ポップスなんか、絵空事を軽薄に歌っているだけだと思っていたが、ある時、実は深いことを歌っているのではないか、と気付いた。
・常々「岡林さんの歌は重苦し過ぎる。もっと軽く書けないか」と言われていたこともあり、作ってみた。
・この歌は、某化粧品メーカー(資生堂)のCMソングとして、TVで流れたんですよ。

5.「Good-bye My Darling」

・次の歌には強烈な思い出がある。TV番組で歌ったら、終わった途端に米国ロックスター(リタ・クーリッジ)が駆け寄ってきて血走った目で「ワンダフル!」と叫び、両手をガシッと握られた。
・あの時、僕に英会話力があれば、今頃は国際的なスターだったかもしれない。
・ところが、まるで売れないどころか、直ぐに廃盤になってしまった。

6.「ミッドナイト・トレイン」

<休憩後:後半>
 浦沢直樹が描いた岡林Tシャツに着替えて登場。

7.「山谷ブルース」
8.「Gの祈り」
・これは珍しく、TV時代劇の主題歌。
・依頼が舞い込んでビックリ。断りたかったが、浮世の義理・大人の事情もあり無理だった。
・そこで、「時代劇に絶対使えないヤツを作ろう」と思って書き送ったら、「かつてなかった斬新な曲で、ぜひ使います」という答えが来た。

・そもそもタイトルからしていい加減。Gというのは、単にコードがGから始まるから、という手抜きもの。
・後に女性ファンから「良い曲なんですがタイトルが・・・」という手紙が来た。なんとその人は「爺の祈り」と勘違いしていた。
・しかし、今日、案外「爺の祈り」が良かったのかもしれない、と思った。

・それに比べれば、次の歌のタイトルは、いいですよ。
・孫の成長を歌った歌で、なんでそんな個人的な歌を入場料払って聴かなきゃいかんのだ、と思う人が居るかもしれない。

・しかし、あるライブ会場で言われた。「私には子供が居ません。従って孫も居ません。でもこの歌を聴いて涙が溢れました」。
・そう、これは子供が居るとかいないとか、男女とか年齢とか関係なく、あらゆる人の人生に通じた深い歌なんです。
・孫が成長するということは、確実に自分の人生が終わりに近付くということでもある。。。

9.さよならひとつ  :そう言われて聴いたせいか、ジーンときました。
10.26ばんめの秋
11.君に捧げるラブ・ソング

・50年間、いろんな音楽スタイルに挑戦し、折角自分が作ったものをぶっ壊し続ける歌手人生だった。
・どうしてこうなったか考える時、血縁(遺伝子)に2人変人が居る。
・一人は父。新潟の農家から、今の歳で言えば40超えてからキリスト教会の牧師になった。

・もう一人は母の父。呉服屋で成功していたが、突然「ドイツ式太陽光線治療器」を作り、療養所まで設けて結核を無くそうとした。
・医師免許などなく、警察が動こうとした時には、署長の娘を治してもみ消した。
・今でも、家の物置にあります。恥ずかしながら小学生になってもオネショをしていた僕は、下半身裸で光を当てられました。しかし、半年たっても効果は表れず、結局オチンチンをヤケドしただけに終わりました。。。

・そうしたことも、長い命の流れの中の一コマに過ぎない。
・これまでいろんな岡林に出逢えた。これからも違う岡林に会えるかもしれない。

12.山辺に向いて :ラスト

<アンコール>
・弱々しいかすれ声で「みんなノッテルかい?!」に爆笑。

13.今夜は朝まで踊りましょ
・歌いだしのコード・キーが分からず、3度も失敗。ピアニストに聞いて、
会場に向かい「失礼しました!!」
・途中から、エンヤトット全開モードとなり、会場に以下の唱和を強要。
「ええじゃないか ええじゃないか ヨイヨイヨイ」
「えらいやっちゃ えらいやっちゃ ヨイヨイヨイ」
「いいぞいいぞ 岡林」(声に熱意が足りない!)
「日本の宝だ 岡林」「世界の宝だ 岡林」
<君達は、声に出したことを必ず実行したくなる>
「CD買うぞ」「10枚買うぞ」(声に誠意が感じられない!)
・これで、CD1000枚は売れるな。

・歌手人生は、売れたかどうかは別にして充実していた。
・一方で、それを抜いた実生活は、いやな、しんどい、つらいことばっかりだった。
・まあ、苦さ・渋さも味のうち、と言う。

・中国の作家が、「私は牢獄に居ても自由だが、牢獄の外に居ても不自由な人が居る」と言っていた。要は、「心のありよう」だ。
・お金がないのに楽しそうな人も居るし、お金持ちでもつまらなそうな顔の人が居る。
・まやかしやごまかしでなく、真剣に生きることが大事だ。

・最後に「最重要事項」を伝える。今日のリハーサルを観て、12月の本番、六本木のナンチャラにも来る人。
・同じギャグを聞いても、必ず笑うように!!

14.自由への長い旅 :エンディング

*上記を読み通して頂ければわかる通り、今回のライブでは、従来以上に自らの音楽人生を面白おかしく語った。
*岡林のギャグは、自虐ネタと思わせて自己顕示欲に落とすという、高低差に特徴があると思う。
 ――「オチ」って、もしかしてそういう意味からも来てる?

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 ところで、この数か月で、ボブ・ディラン吉田拓郎岡林信康が新しいアルバムを出す。

 いわば、日米フォーク・ロックの元祖神様・神様・王様が揃い踏みする、という図式だ。これを単なる偶然とは思いたくはない。一種の奇跡を大いに喜ぼう。

 さて、聴き比べてみないと分からない訳だが、事前段階では、過去のライブ音源を「来日記念」という口実で寄せ集めたボブ・ディラン、過去の音源を自分の好きな順に並べ+未発表デモ付きの吉田拓郎に比べ、岡林には一日の長がありそうな気がする。

その理由は、
1.全曲新録であること
2.バックが、クラシック合奏団から、坂崎幸之助、矢野顕子、サンボマスター、山下洋輔などと、実に多彩かつ豪華であること
3.アルバムタイトルが「森羅十二象」と実に意味深であること
4.選曲がほぼ完璧に近い名曲揃いであること

*私的には、「山谷ブルース」や「チューリップ・・・」は卒業して、他の名曲「夜明けの風に」とか「申し訳ないが気分がいい」「ゆがんだサングラス」「セレナーデ」「風の流れに」辺りを入れた方が良いような気もするが。。。 

いずれにせよ、72歳になっても、岡林信康はカッコ良く生きてる!
僕らも、負けないように、生きなくっちゃ!!

♪二人は試されてるの 君は僕の何 これで壊れてゆくなら 僕は君の何だった♪

以上