早川義夫編

 人物編14回目は、日本ロックの始祖とも言うべき早川義夫さんです。知らない人も多いだろうが、私自身も、小学生時代にアングラの星?で、中学生の頃には「ぼくは本屋のおじさん」になってしまっていたことを、後から遡って知ったくらいで、まさしく「伝説の存在」だった。「かっこいいということはなんてかっこ悪いんだろう」を発売当時にLPで聴いたものの、あまりの根暗さと不気味さ<苦笑>に、正直聴くのが苦痛だった。
 94年に奇跡と呼びたくなる復活を遂げた「この世で一番キレイなもの」を騙されたつもりで買ったら、音が鳴り始めた瞬間から心が震えた。それ以来、私にとって(高石さんに岡林、ディランまで見た後の)「未だ見ぬ最後の大物」となっていたが、08年3月、青山のライブ「音楽が降りてくる夜」で遂に遭遇した。デビューから40年を経て、初めて間近に見た早川さんは赤いシャツを着て茶髪だった。
 この人の歌は、あくまで厚くて重く、深い。本質的なのだ。聴く者の資質と覚悟を要する音楽。選ばれた感性を持つ人しか聴けない。誰かと一緒には聴けない。「ながら」では聴けない。そんな歌達だ。内容の多くはスケベで、みっともなくて恥ずかしい。こんな弱さ、醜さ、いやらしさを歌にする人は珍しい。しかし、それが見事に純粋なラブソングとして屹立している。これらの歌に心を打たれないことは難しい。「作品と作者は同じである」と宣言したうえで、自己の内面を曝け出す鋭さ=「君のあそこは僕のものだよ いやらしさは美しさ」(H)とまで歌える人は稀有だ。
 歌の素朴さや魂の歌い方でオクノ修氏、中高年の正しい生き方と歌と言う点で中川五郎氏に近い。そう言えば、前回解説した遠藤賢司さんからもライバル視されていたな。
 さて、早川さんのアルバムは多くないので、4枚を厳選紹介。

 

1.この世で一番キレイなもの('94年作品)
・ベスト1はやっぱりこの1枚。1994年に、25年ぶりの復活を果たした作品。ご本人がLPサイズの特別ライナーノーツで「声を出さなくても歌は歌える。歌わなかった二十数年間『歌っていたんだね』と思われるように今歌いたい」と述べている通り、早川音楽のエッセンスがこの1枚に凝縮されている。・特に1曲目とラストの歌のレベルの高さは、空前絶後だろう。

1)この世で一番キレイなもの
・この歌の意味は深い。正しく日本フォーク・ロックの最高峰を極めたような純粋で大切な歌である。「なぜに僕は歌を歌うのだろう 誰に何を伝えたいのだろう もっと強く生まれたかった 仕方がないねこれが僕だもの」「キレイなものはどこかにあるのではなくて 貴方の中に眠ってるものなんだ いい人はいいね素直でいいね キレイと思う心がキレイなのさ」。こういう感じで、心を純化したい。

2)いつか
・この歌の激しさ、意志の強さに打たれる。そして歌の中に至言が散りばめられている。「誰もが心の中で歌を歌っている 本当のものをつかむため」「僕はじっと待っていた 溢れてくるのを まっすぐな声で歌うことを」「人は見えた通りのものでしかない」「言葉を立たせろ音を立たせろ 足りないのではなく何かが多いのだ」「愛を歌え願いを歌え 美しいものは人を黙らせる」殆ど喉の限界まで声を張り上げ、酸欠・卒倒寸前の絶唱である。

3)お前はひな菊
・3曲目は、Hで迫力のあるこの歌に。ずばり「俺はお前と寝たいだけ 俺は山ゆりお前はひな菊 ひとりずつ海の中に入ってゆくんだ」と始まり、「お前を好きさ 可愛いと思うさ お前の裸を汚したいのさ」と来る。これほど壮絶で肝の座ったラブソングも珍しいのではないか。

 

2.歌は歌のないところから聴こえてくる('00年作品)
・ベスト2は、1とも甲乙付け難い感のあるこの作品。08年春時点でオリジナル・アルバムとしては最新作である。ご本人のピアノを中心とした、しっとりした音楽が多く、歌われている内容は父親から飼猫、天使から骨、性欲から躁鬱と、実に多彩だが、個人的なものが多い中にあって高い芸術性や普遍性も併せ持つ絶品である。

1)音楽
・この歌に、これまでの早川さんの音楽に対する想いのたけが詰まっているような気がする。「歌を歌うのが歌だとは限らない 感動する心が 音楽なんだ」「勇気をもらう一言 汚れを落とす涙 日常で歌うことが 何よりもステキ」「本当に素晴らしいものは解説を拒絶する 音楽が目指しているのは音楽ではない」。音楽に理屈などいらない。この論評も無意味か。

2)僕の骨
・「僕が死んだら葬式はせず骨も灰にして捨てて欲しい」と遺言のような格好で歌い始め、「生きて行くのがぶきっちょなのは 行きようとしていた証拠なんだ」「もし、僕のことを思ってくれる人がいたら その人の心の中に空の彼方から わかっているよと微笑むから」。僕もこんなふうに死んでいけたらいいな。

3)My R&R
・仲井戸麗市のカバー曲。「10年20年ごときの世代論などぶつより 100万光年の星屑にでもなって はるか宇宙の果て 飛び散りたい」「覚えた事は自由であろうとすること 事の始まりは例えばそれは俺なら ミシシッピデルタブルース Oh Yeah」「どこでもないどこからか 流れてきたのなら どこでもないどこかへ 流れていけばいいさ」。スケールが大きく、音楽(先達)への敬愛に満ち溢れている。

 

3.花のような一瞬('96年作品)
・第3位は、静謐なピアノ・ソロ作品。この人の音楽には派手な編曲や演奏は似合わない気がする。そういう意味で、曲目・演奏的にはより充実した「恥ずかしい僕の人生」よりもこのミニ・アルバムを選出。心臓の鼓動や指先の震えまで伝わってくるようにリアルな録音だ。
・歌の内容は「こんなことまで歌って良いのか?」とこちらが赤面するほどに赤裸々な不倫歌。中年男が、娘ほどの女性に恋し、愛し、性交し、別れ、泣き叫ぶ様を歌い上げて行く。『実話だ』と言うから怖い。しかし、これが純粋で、心洗われるんだから、人生や男女関係は不思議だ。・天才アラーキー(荒木経惟)のモノトーンの写真と題字も見事にフィット。

1)パパ
・若い女性との性愛を描き、悲しくも美しい歌。「ふたりのことは誰にも内緒だよ とくにママには秘密だよ」の歌い出しにドキッとし、「少年のような恥じらいと老人のようないやらしさで やさしく翼広げて 心の中をなめあう」に慄き、「何が正しくて何が間違いかは キレイに思えるかどうかの違い 仕方ないさ好きだもの 涙がこぼれてゆく」に納得。

2)純愛
・順番から言えば「パパ」に先立つ出会い頃の歌。「壊れても不思議はないのに 僕らは仲良しだよね だから困るね切なくなって」「純愛の花が咲く 純愛の鐘が鳴る ふたりはひとつになる」うーん、幸せ感。思わず、♪じゅんあいの~♪と口ずさんでしまうかも。

3)君でなくちゃ駄目さ
・いきなりの超ストレート勝負で、「僕は君のものさ 君は僕のものさ 離れていると息ができないんだ」「君でなくちゃ駄目さ 僕でなくちゃ駄目さ 2人でなくちゃ駄目さ これでなくちゃ駄目さ」とたたみ掛ける恋愛歌。「犬のようにじゃれあい 蛇のように絡み合い 鳥のように泣き叫び 猫のごとく眠る」。佐野史郎氏用に作ったらしい。

4.ひまわりの花('95年作品)
・第4位は、復活第2作にして、前作よりもロック色を強めたこの作品。ご本人としては前作より売れなくて落ち込んだようだが、ややオーバー・プロデュース気味か。URCというか、ジャックス時代の名曲がセルフカバーされているのも魅力である。

1)ラブ・ジェネレーション
・若者の屈折した熱情を歌ったバイブルのような、60年代の作品である。岡林信康が「見るまえに跳べ」でカバーしたのを先に聴いた人も多いだろう。「僕らは何かをし始めようと 生きてるふりをしたくないために 時には死んだふりをしてみせる」と歌い出し、「信じたいために 親も恋人をも すべてあらゆる大きなものを疑うのだ」と宣言し、最後「僕らの言葉の奥には愛が いっぱいある」と泣き崩れるように締める。お見事だ。

2)堕天使ロック
・同じく岡林信康がカバーしていた。「見つめる前に跳んでみようじゃないか 俺たちにできない事もできるさ」「転がってゆけ 崩れてゆけ 堕ちるとこまで堕ちてゆけ 咲いた花がひとつになれば良い」激しいロック演奏とともにピシッと決まっている。「さあみんなで ロカビリーを踊ろう」。

3)身体と歌だけの関係
・もりばやしみほ(Hi-Posi)の作品だが、よほど気に入っているとみえて、冒頭と最後から2曲目の2回も(拍子を変えて)カバーしている。「がんがんやって早くあきてね」とのリフレインはクセになり「身体と歌だけの 関係でいよう 僕らの身体と僕らの歌だけの関係でいよう いようね!」とのメッセージは奥深い(不可解?)。 

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 取り敢えず1枚で全体像を、という方には、2枚組ライブベスト盤「言う者は知らず 知る者は言わず」('02年)がある。
 
 なお、早川さんの魅力は、音楽だけではない。「ラブ・ジェネレーション」、「たましいの場所」といった著作にも、普通は書けないような本音や箴言が満載されていて、人生の友として必読である。
 「伝えたいことと伝えたい人がいれば、才能がなくても歌は生まれると、僕はいまでも思っている」
 「音が出る一歩手前の沈黙。音を出す一歩手前の息づかい。それが美しいかどうかで全てが決まる。音楽は音でもない、言葉でもない。沈黙なのだ」

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 次回は、始祖つながりで、日本フォークの始祖=「高石ともや」さんに行こうかと思っている。

<08年3月記>